
前回の記事では、AIやロボットが生み出した富を誰が所有し、どのように社会へ分配するのかについて考えました。
そこで次に気になるのが、
そもそも「お金」という仕組みは、今のまま必要なのか。
ということです。
AIとロボットによって、生産に必要な人間の労働が大幅に減る。
食料や工業製品の生産コストも下がる。
最低限の生活に必要なものが、以前より少ない費用で提供できるようになる。
もしそこまで社会が変われば、
「働いてお金を稼ぎ、そのお金で生活する」という現在の仕組みそのものも変わっていくのではないか。
そんな疑問が出てきます。
現金はすでに主役ではなくなりつつある
私たちの生活を振り返ってみると、お金の姿はすでに大きく変わっています。
財布から紙幣や硬貨を出して支払う場面は、以前より少なくなりました。
クレジットカード。
スマートフォン決済。
電子マネー。
銀行振込。
ネットショッピング。
私たちは日常的に、
実物として存在しないお金を使っています。
銀行口座に100万円あるとしても、その100万円分の紙幣が自分専用に銀行の金庫へ保管されているわけではありません。
多くの場合、私たちが見ているのは画面上の数字です。
そう考えれば、
「お金のデジタル化」は未来の話ではなく、すでにかなり進んでいる
とも言えます。
現金がなくなることと、お金がなくなることは違う
ここで区別しておきたいことがあります。
現金がなくなることと、お金そのものがなくなることはまったく別です。
紙幣や硬貨が使われなくなっても、
100円。
1万円。
100ドル。
といった価値を表す単位が存在する限り、お金そのものは残っています。
将来、すべての支払いがスマートフォンや生体認証などで行われるようになったとしても、
それは「現金のない社会」であって、
「通貨のない社会」ではありません。
では、国ごとの通貨は必要なのか
さらに先を考えると、別の疑問が出てきます。
円。
ドル。
ユーロ。
ポンド。
現在は国や地域ごとに異なる通貨が使われています。
海外へ行けば両替が必要です。
海外通販でも為替レートを意識します。
企業の国際取引では、為替変動が利益に大きな影響を与えることもあります。
しかしAIがすべてを瞬時に処理する世界では、
人間が為替を意識する必要はなくなるかもしれません。
たとえば日本人が海外の商品を購入するとします。
購入者には日本円の金額が表示され、
販売者には自国通貨で代金が入る。
その間の通貨交換はAIや金融システムが瞬時に処理する。
そうなれば、
通貨は国ごとに存在していても、人間から見れば世界共通通貨を使っているのとあまり変わらなくなる
可能性があります。
通貨は単なる支払い手段ではない
ただし、「便利だから世界共通通貨にすればいい」というほど単純ではありません。
通貨には、支払い以外にも大きな役割があります。
国家は金利や通貨供給量などを調整しながら、景気や物価に対応します。
つまり通貨は、
国家が経済を運営するための重要な道具
でもあります。
もし世界中が完全に一つの通貨を使うようになれば、
一つの国だけで自由に金融政策を行うことは難しくなります。
景気の良い国と悪い国。
人口が増えている国と減っている国。
資源を持つ国と持たない国。
経済状況がまったく違う国々を、一つの通貨政策で運営することは簡単ではないでしょう。
AI時代には「通貨を意識しない社会」の方が現実的かもしれない
そのため私は、
国ごとの通貨が完全になくなる未来より、
通貨は残っているが、人間がほとんど意識しなくなる未来
の方が現実的ではないかと思います。
AIが自動的に両替する。
最も手数料の安い決済方法を選ぶ。
税金も自動計算する。
企業の会計処理も自動化する。
海外取引でも、利用者は自分の国の通貨だけを見ていればよい。
これは現在よりかなり便利な世界です。
さらに進めば「お金を払う」という行為すら消えるかもしれない
決済が完全にデジタル化すれば、
「支払う」という行為そのものも変わる可能性があります。
現在でも高速道路では、自動料金収受によって現金を渡さず通過できます。
店舗でも、商品を持って出るだけで自動決済される仕組みがあります。
将来、
電車に乗る。
自動運転車を利用する。
食事をする。
商品を持ち帰る。
こうした行為ごとに、
人間が財布を出したり、スマートフォンを操作したりする必要すらなくなるかもしれません。
本人確認と決済が自動的に行われるからです。
便利なのは間違いありません。
しかし、ここから少し怖い話にもなります。
すべてのお金がデジタル化すると、すべての取引が記録できる
現金には、少し特殊な性質があります。
誰かに1000円札を渡しても、
その紙幣だけを見て、
- 誰が支払ったのか
- 何を買ったのか
- どこで使ったのか
を自動的に知ることはできません。
ところが完全なデジタル決済では、
技術的には、
誰が、いつ、どこで、何に、いくら使ったのか
を記録できます。
もちろん、不正送金や脱税、犯罪資金などを防ぐうえでは大きなメリットがあります。
しかし同時に、
お金の流れを通じて、人間の生活そのものを把握できる
ということでもあります。
便利な社会と監視社会は紙一重になる
たとえばAIが、
あなたが何を買ったか。
どこへ行ったか。
どの病院へ通っているか。
どんな本を買ったか。
どんな団体へ寄付したか。
誰と頻繁に食事をしているか。
といった情報を分析できるとします。
それを利用すれば、
非常に便利な社会サービスを提供できます。
必要な福祉を自動的に案内する。
税金を自動計算する。
詐欺や不正利用を検知する。
病気の兆候を生活情報から見つける。
しかし同じ仕組みを別の目的に使えば、
非常に強力な監視社会を作ることもできます。
AI時代では、
便利さと自由の境界が、これまで以上に重要になるでしょう。
「使えるお金」と「使えないお金」を作ることもできる
デジタル通貨には、現金にはない特徴を持たせることも技術的には可能です。
たとえば、
食料品には使える。
医療費には使える。
教育費には使える。
しかし別の用途には使えない。
あるいは、
一定期間で利用期限が切れる。
特定の地域だけで利用できる。
といった条件を付けることも考えられます。
これは社会保障では便利です。
生活支援として配ったお金を、
本来の目的へ確実に使ってもらうことができます。
一方で、
国家や組織が「あなたはこのお金をここでは使えません」と決められる社会
にもなり得ます。
ここにも便利さと危険性の両面があります。
ベーシックインカムとデジタル通貨は相性が良い
前回取り上げたベーシックインカムのような制度も、
デジタル化された社会では運用しやすくなるでしょう。
全国民へ毎月一定額を支給する。
所得状況などによって給付を自動調整する。
災害時には被災地域の住民へ即座に支援金を送る。
税と給付を一体化する。
AIとデジタル決済を組み合わせれば、
現在のような複雑な申請手続きを大幅に減らせる可能性があります。
つまり、
AIとデジタル通貨は、「小さくても強力な政府」を実現するための道具にもなり得る
ということです。
それでも「お金そのもの」は簡単にはなくならない
では最終的に、お金は不要になるのでしょうか。
私は、かなり遠い未来まで完全にはなくならないように思います。
なぜなら、すべてのものが無限に存在するわけではないからです。
土地には限りがあります。
海が見える家にも限りがあります。
人気のある観光地に一度に泊まれる人数にも限界があります。
希少な資源もあります。
人間が欲しいものすべてを無制限に提供できない以上、
「誰がどれだけ利用できるか」を調整する仕組み
は必要です。
現在、その役割を大きく担っているのがお金です。
しかし「生きるためのお金」は意味を失っていくかもしれない
一方で、
AIやロボットによって生産コストが大きく下がれば、
お金の意味そのものは変わる可能性があります。
最低限の食料。
基本的な住居。
医療。
教育。
通信。
必要最低限の移動。
こうしたものが社会的に保障されるようになれば、
「お金がなければ生きられない」という状態からは離れていく
ことができます。
お金は、
生きるために必要なものではなく、
より豊かな選択をするためのもの
へ変わるかもしれません。
100万円持っている意味も今とは変わる
もし最低限の生活が保障される社会になれば、
「お金持ち」という言葉の意味も変わるでしょう。
現在は、お金があれば生活そのものの安全性が大きく高まります。
より良い医療。
より良い教育。
安全な住居。
老後への備え。
しかし最低限の部分が広く保障されるようになれば、
お金による差は、
「生きられるかどうか」ではなく、「どんな暮らしを選ぶか」
へ移っていく可能性があります。
これは前回書いた、
「競争と生存を分ける社会」
につながります。
国境より経済圏の方が重要になる可能性もある
通貨がデジタル化し、AIが世界中の取引を自動処理するようになると、
国家という枠組みにも変化が起きるかもしれません。
現在は、日本に住めば円を使い、
アメリカに住めばドルを使うというように、
国と通貨が強く結びついています。
しかし将来、
世界中のサービスを同じ端末から利用し、
決済も自動的に処理されるようになれば、
人間が所属している国より、参加している経済圏の方が身近になる
可能性があります。
これは国家そのものがなくなるという意味ではありません。
ただ、
「国境を越えて経済活動をする」
という感覚そのものが薄れていくかもしれません。
夢の21世紀には「お金を意識しない社会」があるのかもしれない
子どもの頃に見た未来社会では、
人々がお金を払う場面はあまり描かれていなかったように思います。
ロボットが働き、
自動車が自動で移動し、
必要なものが自然に提供される。
当時は単なるSF的な表現だったのでしょう。
しかしAIとロボット、デジタル決済を組み合わせて考えると、
「人間がお金を意識せずに生活できる社会」
は、完全な空想とは言えなくなってきました。
お金がなくなるのではない。
裏側では通貨も決済も存在する。
しかし日常生活では、人間がほとんど意識しない。
その方が、現実的な未来像なのかもしれません。
問題は技術ではなく「誰が管理するか」
ここでも結局、第5回と同じ問題に戻ります。
技術そのものは、善でも悪でもありません。
完全なデジタル通貨は、
社会保障を効率化することもできます。
災害時に迅速な支援もできます。
犯罪や不正を減らすこともできます。
しかし同じ技術で、
人間の生活を細部まで監視することもできます。
だから重要なのは、
「何ができるか」ではなく、「誰が、どんなルールで管理するのか」
です。
夢の21世紀を作るためには、
AIやロボットだけでは足りません。
自由を守る制度。
透明性の高い政府。
技術を悪用させない仕組み。
そして、人間が自分の人生を自分で選べること。
そうしたものが一緒に必要になるのでしょう。
次回は、
「AIは自然災害から人間を守れるのか」
というテーマから、
地震、津波、豪雨、洪水などの災害に対して、
AI、ロボット、センサー、ドローンなどがどこまで人間を守れるのか、
そして「災害が起きても人が死なない社会」は作れるのかを考えてみたいと思います。
この記事が、どこかで
「ためになるかもしれない」と思っていただけたら嬉しいです。


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