【ご挨拶】はじめまして。ブログ管理者のTECCIです。

スポンサーリンク

最初に

TECCI
TECCI
はじめまして。TECCIです。ご覧いただきありがとうございます。

1980年にコンピュータの世界に入り、それから45年以上、ITに関わってきました。
現在もIT関係の仕事やコンサルタントを続けながら、AIを使ったアプリやWebサービスを作っています。

そんな私ですが、実は昔からタイピングが苦手です。
ITの仕事をこれだけ長く続けているのに、今でも好きではありません(笑)。

「できるだけタイプしないで文章を作れないだろうか」

そんな自分自身の不便から、最近ではAIを使った文章作成ツール「LinguaWriter」も作りました。
60代になってから自分でAIアプリを作ることになるとは、若い頃には想像もしていませんでした。

仕事では、2009年から2017年までの8年間、マレーシアで生活しました。
現地の生産会社の経営に携わり、日本とは違う文化や価値観の中で仕事をした経験は、その後の私の考え方にも大きな影響を与えています。

自分の人生で外国に住むとは思っていませんでしたし、そこで日本にいたら出会わなかったであろう多くの人との縁も生まれました。
その経験などがきっかけとなり、現在は「やまなし大使」として山梨の魅力を伝える活動にも関わっています。

人生は、本当に何が起きるか分からない旅のようなものだと感じています。

この「ためになるかもしれないブログ」では、これまで経験してきたこと、そして今も新しく経験していることを中心に書いています。

・AI、IT、アプリ開発に関すること
・マレーシアや東南アジアでの生活・文化に関すること
・会社経営や仕事を通じて考えたこと
・60代になった今だから気づいたこと
・その他、日々「面白い」と思ったこと(玉手箱)

ブログのタイトルは「ためになるかもしれないブログ」。

何か一つでも「へぇ」「そんな考え方もあるのか」と思っていただけるものがあれば嬉しいです。

もう少し詳しく自己紹介をさせていただきます。
お時間がありましたら、お付き合いください。

なぜIT、マレーシア、経営、AIなど、いろいろなテーマを書いているのか。
実はこのブログを始めるとき、「100万分の1になろう」と考えたことが原点にあります。

その考え方については、こちらの記事にまとめました。

仕事に関して

社会人デビューは親戚の会社から

税理士になるため専門学校に行っておりました。その間親戚の会社の寮に住ませていただきました。
そのような関係で卒業後はそのまま親戚の会社に就職しました。21歳の時でした。
その会社はプラスチック成型加工業で、大叔父にあたる人が会長を務めていました。
経理部に配属され私の社会人生活が始まりました。
1980年当時はまだ会計処理もコンピュータ化されておらず、私の仕事は日計表の作成、元帳・補助簿への転記でした。
入社後2ヶ月ほど経ったころ上司から「これからコンピュータの時代になるからお前も勉強しろ」ということで毎日2~3時間システム設計やプログラムの勉強時間を与えられました。
これが私とITとの出会いでした。
初めてのコンピュータは日立製のHITAC85という機種でハードディスクやディスプレイはなく、フロッピーディスクが4基とストックフォームを横に2つ並べられるほど幅広のプリンタが付いたものでした。
使用言語はRPGⅡでした。
ここで徹底的にシステム設計を学び、この会社に在籍した2年半の間に金型管理システム、受注管理システムを開発しました。
機種もHITAC85からL330に機種変更しハードディスク(当時は64MB)・ディスプレイ付きになりました。

2社目の日用雑貨卸売業で流通業を深く経験

父親が体調を崩したこともあり故郷に戻ることになりました。

父親の体調が一段落した後コンピュータエンジニアを募集していた日用雑貨卸売業に就職しました。

この会社で使っていたコンピュータはNEC製のITOS100。使用言語はCOBOL。

社長にNECのコンピュータは使ったことがないので勉強したいと相談したら、出張扱いでいいから勉強してきなさいとありがたい言葉をいただき1ヶ月ほどNECに勉強に行き、COBOLの習得をしました。

この会社には8年ほどお世話になったのですが、非常に中身の濃い8年間でありました。

コンピュータの進化も激しい時期でした。

私の開発した販売管理システムの評判が他社に伝わり、購入したいと申し出てきた会社が数社ありました。

その頃売上税の導入の政策発表があり、ソフトウェア会社と有志数社が集まり私の開発したシステムをベースに新しいシステムに作り替えることになりました。

そして生まれたのが「ザ・卸」です。

システム開発が楽しくなりこの8年間は本当に良く働きました。辛いことはなく毎日が挑戦であり、充実していました。

社長や専務から信頼されポジションも給料も上がり社内では高い方でした。

8年目に差し掛かることもう一度製造業を勉強したいと思い、3社目の会社に移ることにしました。

IT事業を創業

2社目に在職中サイドビジネスを始めました。

会社では使いませんでしたが丁度パソコンが出始めた頃でパソコンの設置やソフトの提案等を行うシステム屋を始めました。

今でこそ素人でもPCが使えるようになりましたがPC黎明期のOSはMS-DOSで、デバイスの組み込みや日本語入力機能の組み込みは結構面倒で知識がなければ出来ない状況でした。

仕事でパソコンを使いたいけど使うまでには大変という人の為になればと思い仕事を始めました。

これが現在の会社の前身です。

3社目は製造業、後に上場

最初の会社も製造業でしたが志半ばで辞めたこともあり、もう一度製造業を学びたい気持ちで就職しました。

IT部門の責任者として原価管理システムや生産管理、輸出管理、生産設備の部品調達システム、資材の購買システムの開発の一方、会計関係の知識もあったため経営管理部門も任され、株式上場準備から携わらせていただきました。

上場後はグループ企業全体のIT化や情報インフラの整備、利益予測システム開発等を行い海外の関係会社に出張に行ったりと行動範囲が広がっていきました。

海外だけではなく日本国内の生産工場や営業所も回っていて出張は管理部門の中では一番多い方でした。その他ISOや内部統制の内部監査員も兼任していましたのでその分の出張もありました。

ちなみにIT関係では言語はVB.NET、ASP.NET、SQLを使えるようになり、NECのA-VXとSQL Serverの連携、DWHを使った経営情報の可視化などを進めました。

海外生産会社社長として初の海外生活を体験

マレーシアにある生産会社の社長として8年間の海外生活を体験。

この8年間は自分の第2の人生を歩むのに多くの示唆を与えてくれるものとなりました。

詳しくは当ブログの中で書いていきたいと思います。

現在にいたる

現在は日本に戻り、これまでの経験を活かしながら、IT事業やコンサルタントなどの仕事を続けています。

そして60代になった今も、新しいことへの興味はなかなか尽きません。

特に生成AIが登場してから、ITがまた面白くなってきました。
AIを使うだけでなく、自分でもスマートフォンアプリやWebサービスを開発しています。

その一つが文章作成ツール「LinguaWriter」です。

実は私は、ITの仕事を45年以上しているにもかかわらず、昔からタイピングが苦手で、今でもあまり好きではありません(笑)。

「書きたいことは頭の中にある。それなら、できるだけタイプせずに文章にできないだろうか」

そんな自分自身の不便からスマートフォン版のLinguaWriterを作り、使っているうちに「仕事ならブラウザから使えた方が便利だ」とWeb版を作り、さらに「英語でもできるのでは?」と英語版も試すようになりました。

一つ作ると、また次にやりたいことが見つかります。

どうやら、まだしばらく隠居できそうにありません(笑)。

ジャンルは問わず音楽を聴くのが大好き

本当にジャンルは問わず音楽を聴きます。

ROCK,POPS,JPOP,KPOP,DISCO,FUSION,EASY LISTENING,BALLAD,RAP等ジャンル関係なく言いなと思ったものは何でも聞きます。

仕事中も音楽が流れています。ちなみに今はDAVICHが流れています (^.^)

未だに好奇心旺盛

60代になりましたが、好奇心はあまり衰えていないようです。

AIが出てくれば使ってみたくなり、使っているうちに自分でもアプリを作りたくなる。
Web版を作れば英語でも試したくなり、その次は中国語も面白そうだと思ってしまう。

マレーシアで暮らしていた頃も、「なぜだろう?」と思ったことを調べてみると、日本にいたときには気づかなかったことがたくさんありました。

知らないことがあると、まだ面白い。
やったことがないことがあると、やってみたくなる。

そんな好奇心が続く限り、もうしばらく忙しくしているのだと思います。

そして、これまで経験してきたことや、これから新しく経験することが、誰かの「へぇ」や「ちょっとやってみよう」につながれば嬉しく思います。

TECCI
TECCI

そんなわけで今後ともよろしくお願いします。

次は何を読みますか?

せっかくなので、いつもなら選ばない記事を1つ。

コメント