働かなくても生きていける社会で、人間は幸せなのか|夢の21世紀のその先へ

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ここまでの連載では、
AI、ロボット、医療、仕事、富の分配、ベーシックインカム、通貨、自然災害、そして政府の役割について考えてきました。

技術が進歩すれば、
人間は今より少ない労働で、
今より多くのものを生み出せるようになります。

さらにAIとロボットが人間の代わりに働き、
食料、医療、教育、移動、行政などのコストまで下がっていけば、

「生きるために働かなくてもよい社会」

が、いつか現実になるかもしれません。

このシリーズを始めたとき、
私が一番考えていたのも、まさにその未来でした。

しかし、ここまで考えてくると、
最後にどうしても残る疑問があります。

人間は、本当に働かなくても幸せなのでしょうか。

「仕事をしなくてよい」は、本当に夢のような話なのか

毎朝早く起きる。

通勤する。

上司や顧客に気を使う。

納期に追われる。

生活費を稼ぐために、やりたくない仕事も続ける。

そうした生活から解放されるのであれば、
多くの人は歓迎するでしょう。

私自身も、
生活のためだけに働かなければならない状態がなくなることは、
人間にとって大きな進歩だと思います。

しかし、

「働かなくてよいこと」と「何もしなくてよいこと」は同じではありません。

もし明日から、

「あなたは一生働かなくても生活できます」

と言われたら、
最初の数か月は自由を楽しめるかもしれません。

旅行する。

好きなものを食べる。

映画を見る。

昼まで寝る。

しかし、それが10年、20年、30年続いたらどうでしょう。

人間は本当に満足できるのでしょうか。

人間は「楽をすること」だけでは満たされない

人間には不思議なところがあります。

大変な仕事をしているときには、

「もっと楽になりたい」

と思います。

ところが暇な時間が長く続くと、

「何かしたい」

と思うようになります。

何かを作る。

何かを学ぶ。

誰かの役に立つ。

競争する。

挑戦する。

人間は、
単に生きているだけではなく、

自分が何かをしているという感覚

を必要とする生き物なのかもしれません。

今の社会では「仕事」がその役割を持っている

現在、多くの人にとって、
その役割を担っているのが仕事です。

仕事を通して人と会う。

役割を持つ。

評価される。

技術を身につける。

問題を解決する。

誰かから「ありがとう」と言われる。

もちろん、
すべての仕事が楽しいわけではありません。

しかし仕事には、
給与以外にも多くの意味があります。

だからAI時代に仕事が減るということは、
単に所得が減る問題だけではなく、

人間が社会の中で役割を持つ機会が減る問題

でもあります。

仕事と労働は、分けて考えた方がよいのかもしれない

ここで、
「仕事」と「労働」を少し分けて考えてみたいと思います。

たとえば、

生活費を得るために、
本当はやりたくない仕事を毎日続ける。

これは、

生きるための労働

と考えることができます。

一方で、

好きだから畑を作る。

面白いから研究する。

人に喜んでもらいたいから料理を作る。

自分の考えを伝えたいから文章を書く。

仲間と一緒に地域活動をする。

こうしたことも、広い意味では仕事です。

しかし、

生活費を得るために強制されているわけではありません。

AI時代には、この違いが今より重要になるのではないでしょうか。

「働かない社会」ではなく「働く理由が変わる社会」

私は、
AIとロボットが進歩した未来でも、
人間は何らかの活動を続けると思います。

会社を作る人もいるでしょう。

研究する人もいるでしょう。

音楽を作る人もいる。

スポーツをする人もいる。

農業をする人もいる。

旅行をしながら写真を撮る人もいる。

子どもを教える人もいる。

高齢者を支える人もいる。

つまり、

人間が働かなくなるのではなく、働く理由が変わる

のではないでしょうか。

今は、

「働かなければ生活できない」

という理由が大きい。

将来は、

「やりたいからやる」

「面白いからやる」

「誰かの役に立ちたいからやる」

という比率が高くなる。

それが理想的なAI社会なのかもしれません。

人間にしかできない仕事は残るのか

AI時代になると、
よく、

「人間にしかできない仕事は何か」

という議論があります。

しかし私は、
将来的にはこの問い自体があまり重要ではなくなる可能性もあると思います。

AIが文章を書ける。

AIが音楽を作れる。

AIが絵を描ける。

ロボットが料理を作れる。

だからといって、
人間が文章を書いたり、
音楽を作ったり、
料理をしたりする意味がなくなるわけではありません。

人間は、

AIより上手だからやるのではなく、自分がやりたいからやる

ようになるかもしれません。

自動車があっても、人間は走る

考えてみれば、
すでに似たことは起きています。

自動車があります。

電車があります。

飛行機があります。

人間よりずっと速く移動できます。

それでも人間は走ります。

マラソンをします。

山に登ります。

自転車にも乗ります。

移動するためだけなら、
もっと効率的な方法があります。

それでも人間が走るのは、

効率だけが目的ではないからです。

AI時代の仕事も、
これと同じようになるのかもしれません。

AIが小説を書けても、人間は小説を書く

AIがどれほど優れた文章を書けるようになっても、
人間が小説を書かなくなるとは思いません。

誰かに評価されたい。

自分の経験を残したい。

頭の中にある世界を形にしたい。

そうした欲求は、
AIの性能とは関係ありません。

むしろAIが支援してくれることで、
これまで文章を書く技術がなかった人まで、
自分の物語を形にできるようになるかもしれません。

つまりAIは、

人間から創作を奪う存在ではなく、創作できる人を増やす存在

にもなり得ます。

「生産性」という言葉の意味も変わる

これまでの社会では、
生産性が高いことは非常に重要でした。

短い時間で多く作る。

少ない人数で成果を上げる。

企業にとっては当然の考え方です。

しかしAIが生産性の多くを担うようになれば、
人間まで同じ尺度で測る必要があるのでしょうか。

一日かけて絵を描く。

何年もかけて研究する。

友人と長い時間話す。

子どもと遊ぶ。

高齢者の話を聞く。

こうした活動は、
現在の経済指標では生産性が高いとは言えないかもしれません。

しかし、

人間の幸福という意味では非常に価値のある時間

です。

AI時代には「時間」が最大の豊かさになるかもしれない

これまで人間は、
生活のために自分の時間を売ってきました。

一日8時間。

週5日。

何十年も働く。

その代わりに給与を受け取り、
生活します。

もしAIやロボットによって、
生きるための労働時間を大幅に減らせるなら、

未来社会で最も価値のあるものは、お金より自由な時間になる

かもしれません。

家族と過ごす時間。

学ぶ時間。

旅をする時間。

考える時間。

何もしない時間。

人類は初めて、

「生きるためではなく、生きることそのものに時間を使える社会」

を持てるのかもしれません。

ただし、暇になることと自由になることは違う

ここにも注意が必要です。

仕事を失って時間だけが余ることと、
生活が保障された上で自由な時間が増えることは、
まったく違います。

前者は失業です。

後者は自由です。

AI時代の社会設計で重要なのは、

人間を「暇」にすることではなく、「自由」にすること

でしょう。

そのためには、
このシリーズで考えてきたように、
所得、住居、食料、医療、教育などの問題を同時に解決する必要があります。

新しい格差は「お金」ではなく「生きがい」になるかもしれない

もし最低限の生活が保障されても、
すべての人が同じように幸福になるとは限りません。

自分のやりたいことを持っている人。

仲間がいる人。

地域とのつながりがある人。

何かに挑戦している人。

そうした人は、
自由な時間を豊かに使えるでしょう。

一方で、

何をしたらよいか分からない。

誰ともつながっていない。

社会から必要とされていないと感じる。

という人も出てくるかもしれません。

つまり未来には、

所得格差だけではなく、「生きがい格差」のような問題

が生まれる可能性があります。

教育も「就職するため」から変わる必要がある

そう考えると、
教育の目的も変わるでしょう。

現在の教育には、

勉強する。

良い学校へ行く。

資格を取る。

就職する。

という流れが強くあります。

しかし仕事そのものが減る社会では、

「就職するための教育」だけでは足りません。

自分は何が好きなのか。

何を作りたいのか。

どんな人と関わりたいのか。

どんな社会を作りたいのか。

そうしたことを考える力の方が、
今より重要になるかもしれません。

AIに答えを聞く時代ほど、「自分はどうしたいか」が重要になる

AIは多くの質問に答えてくれるでしょう。

何を勉強すればよいか。

どう料理すればよいか。

どう旅行すればよいか。

どの投資が効率的か。

どの仕事が向いているか。

しかしAIがどれほど賢くなっても、
最後まで決められないことがあります。

「あなたは何をしたいのか」

です。

これは効率の問題ではありません。

正解が一つある問題でもありません。

AI時代になるほど、
人間には、

自分で人生の目的を決める力

が必要になるのではないでしょうか。

「生きるために働くことを強制されない社会」

ここで、このシリーズの最初の問いへ戻ります。

AIやロボットが進歩すれば、
人間は働かなくても生活できる社会が来るのでしょうか。

私は、

技術的には、そこへ近づいていく可能性は十分にある

と思います。

しかし、本当に目指すべきなのは、

「人間が働かない社会」ではない。

そう考えるようになりました。

私が思い描く理想は、

「生きるために働くことを強制されなくなる社会」

です。

働きたい人は働く。

会社を作りたい人は作る。

農業をしたい人は農業をする。

研究したい人は研究する。

絵を描きたい人は絵を描く。

家族との時間を大切にしたい人は、そうする。

そして、
生活するためだけに嫌な仕事を続ける必要はない。

そんな社会です。

そこへ行くまでの道のりは、決して平坦ではない

ただし、この連載で何度も考えてきたように、
そこへ一気に進めるとは思えません。

AIで生産性が上がる。

必要な労働者が減る。

仕事を失う人が増える。

AIやロボットを所有する企業へ富が集中する。

格差が広がる。

税制や社会保障を作り直す必要が出てくる。

政府の役割が変わる。

そして国ごとの差も広がる。

理想社会へ行く前には、

非常に不安定な移行期が存在する可能性があります。

むしろ私は、
AIそのものより、この移行期の方が怖いと思っています。

夢の21世紀は、技術だけでは完成しない

子どもの頃、
21世紀になれば科学技術が進歩し、
自動的に素晴らしい社会がやってくると思っていました。

しかし実際には、
そうではありませんでした。

技術は進歩しても、
戦争はなくなりませんでした。

交通事故もなくなりませんでした。

貧富の差もなくなりませんでした。

自然災害の犠牲者もいます。

つまり、

技術の進歩と社会の進歩は同じではありません。

これはAI時代にも同じです。

どれほど高性能なAIを作っても、
それだけで人間が幸せになるわけではありません。

AIによって生まれた富をどう分配するのか。

人間の自由をどう守るのか。

政府をどう監視するのか。

AIを持つ国と持たない国の格差をどうするのか。

そして、

人間が自分の人生を選べる社会を作れるのか。

そちらの方が重要なのだと思います。

30年遅れの「夢の21世紀」は、本当に来るのか

このシリーズの第1回で、

私たちが子どもの頃に夢見た21世紀は、
30年ほど遅れて始まりつつあるのではないかと書きました。

AI。

ロボット。

再生医療。

自動運転。

新しいエネルギー技術。

高度な防災。

確かに、昔ならSFだった技術が現実へ近づいています。

だから私は、
未来に対して悲観しているわけではありません。

むしろ、

人類には、子どもの頃に想像した未来を実現できる技術がようやく見えてきた

のだと思います。

ただし、
その技術をどの方向へ使うかは、
AIが決めることではありません。

人間が決めることです。

本当の「夢の21世紀」とは

空飛ぶ自動車があること。

人型ロボットが街を歩いていること。

宇宙旅行ができること。

もちろん、それも未来らしい光景でしょう。

しかし今の私が思う、
本当の「夢の21世紀」は少し違います。

病気になっても治療を受けられる。

災害が起きても命を失わない。

食べるものに困らない。

学びたい人が学べる。

技術によって生まれた豊かさを一部の人だけが独占しない。

そして、

生きるためだけに、自分の時間を差し出し続けなくてもよい。

その上で、
自分がやりたいことを選べる。

私は、そんな社会の方が、
空飛ぶ自動車のある未来よりも、
はるかに「夢の21世紀」らしいと思います。

夢の21世紀は、待っていれば来るものではない

子どもの頃は、
21世紀になれば未来社会が自然にやってくると思っていました。

しかし今は違います。

未来は、
時間が経てば自動的に良くなるものではありません。

AIもロボットも、
人間を幸せにすることもできれば、
格差や監視を強めることもできます。

結局、

どんな21世紀になるかは、技術ではなく、それを使う私たち次第です。

「生きるために働くことを強制されなくなる社会」は、
もう完全なSFではなくなりました。

しかし、それが本当に訪れるかどうかは、
まだ分かりません。

30年遅れの夢の21世紀へ、
私たちはようやく入口まで来たのかもしれません。

その先が理想社会になるのか、
それとも別の格差社会になるのか。

それを決めるのは、
これからの私たちなのだと思います。


この記事が、どこかで
「ためになるかもしれない」と思っていただけたら嬉しいです。

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