
前回の記事では、AIやロボットによって生産性が大きく向上しても、
人間の仕事や所得まで減ってしまえば、
「物はたくさんあるのに買えない」という矛盾が生まれる可能性について考えました。
そこで次に問題になるのが、
AIやロボットが生み出した富は、いったい誰のものなのか。
という問いです。
AIを開発した企業のものなのか。
ロボットや工場を所有する企業のものなのか。
株主のものなのか。
それとも、社会全体である程度共有すべきものなのでしょうか。
この問題は、これからAIがさらに普及すれば、
避けて通れないテーマになると思います。
企業がAIで利益を増やすことは悪いことではない
まず大前提として、
AIを導入して企業が利益を増やすこと自体は悪いことではありません。
新しい技術に投資する。
失敗するリスクを負う。
設備を購入する。
研究開発を行う。
その結果として生産性が上がり、利益が増える。
これは資本主義の基本的な仕組みです。
企業が利益を得られなければ、
そもそも新しい技術へ投資する動機も弱くなります。
その意味では、
AIで利益を上げる企業が存在すること自体は、社会の発展に必要です。
問題は、その利益が極端に一部へ集中したときです。
AI時代は「労働より所有」が強くなるかもしれない
これまで多くの人は、
自分の労働を提供することで所得を得てきました。
会社員なら給与を受け取ります。
自営業なら、自分の仕事の対価として収入を得ます。
つまり、
「働くこと」と「所得を得ること」が強く結びついていました。
しかしAIとロボットが大量の仕事を担うようになると、
この関係が少しずつ変わるかもしれません。
工場を所有している。
ロボットを所有している。
AIサービスを所有している。
大量のデータや計算設備を所有している。
こうした人や企業は、
人間が直接働かなくても利益を生み出せます。
すると、
「働いた人が豊かになる社会」から、「生産手段を所有する人が豊かになる社会」へ、さらに傾いていく可能性があります。
AIを使える人と、AIを所有する人は違う
これからは「AIを使える人が有利になる」とよく言われます。
確かに、その通りでしょう。
一人で数人分の仕事をこなせるようになれば、
個人の生産性は大きく上がります。
しかし、さらに大きな差が生まれるのは、
AIを使う人と、AIそのものを所有する人
の間かもしれません。
月額料金を払ってAIを利用する人と、
そのAIサービスを世界中へ提供している企業では、
生み出される利益の規模がまったく違います。
同じことはロボットにも言えます。
ロボットを一台使って仕事をする人より、
何万台ものロボットを稼働させる企業の方が、
圧倒的に大きな生産力を持ちます。
AI時代には、
「技術を使えるか」だけではなく、「技術を誰が所有しているか」
が、これまで以上に重要になるでしょう。
税金はどこから集めるのか
ここで政府の問題が出てきます。
現在の社会制度は、
多くの人が働き、給与を受け取ることを前提に作られています。
人が働けば所得税が発生します。
給与から社会保険料を負担します。
企業側も社会保険料を負担します。
そのお金が、医療、年金、介護、教育、福祉などを支えています。
しかし、
1000人で運営していた企業がAIやロボットによって100人で運営できるようになった場合、
給与所得から集められる税や社会保険料は大きく減る可能性があります。
一方で、その企業が以前より大きな利益を上げているとしたら、
社会全体の生産力が落ちたわけではありません。
むしろ生産力は上がっています。
それなのに社会保障制度だけが苦しくなるとすれば、
税の集め方が時代に合わなくなっている
ということになります。
「ロボット税」という考え方
AIやロボットによる自動化が進むと、
いわゆる「ロボット税」のような考え方が出てくるかもしれません。
ただし、ロボット一台ごとに税金をかけるという単純な話ではないでしょう。
企業が自動化によって生み出した付加価値や利益に対して、
どのように社会的な負担を求めるか、
という問題です。
たとえば、
- 企業利益への課税
- 資本所得への課税
- 巨大AIサービスへの課税
- 自動化によって生まれた付加価値への課税
- デジタル取引への課税
など、さまざまな方法が考えられます。
ただし、課税を強くしすぎれば、
企業が技術投資を控えたり、
税率の低い国へ移転したりする可能性もあります。
ここが難しいところです。
AIの恩恵を社会へ還元しながら、技術革新そのものは止めない。
そのバランスが必要になります。
一つの国だけでは解決できない
そしてAI時代の税制を考えるとき、
さらに難しい問題があります。
AI企業は世界中でサービスを提供できます。
ロボット企業も世界中へ製品を販売できます。
デジタルサービスには、国境がほとんどありません。
ある国だけが非常に高い税金を課せば、
企業は別の国に本社や利益を移すかもしれません。
逆に、企業を呼び込むために税率を極端に下げる国も出てくるでしょう。
つまり、
AIが生み出した富の再分配は、一国の国内問題だけでは済まなくなる
可能性があります。
世界各国がある程度協調しなければ、
公平な仕組みを作るのは難しいでしょう。
そこでベーシックインカムが出てくる
AI時代の未来を語るとき、
よく登場するのがベーシックインカムです。
簡単に言えば、
仕事をしているかどうかにかかわらず、すべての人へ一定額の所得を保障する仕組み
です。
AIやロボットが人間の代わりに働き、
その利益の一部を社会へ還元する。
そして人間は、
最低限の生活を維持するための所得を受け取る。
理屈だけを見れば、
AI時代との相性は非常に良い仕組みに思えます。
しかし、ベーシックインカムは魔法ではない
ただし、
「AIで失業が増えたら、ベーシックインカムを導入すれば解決する」
ほど単純な話ではありません。
まず問題になるのは財源です。
毎月一定額を全国民へ支給するとなれば、
非常に大きな財源が必要になります。
また、住宅費、医療費、教育費、介護費などが高いままであれば、
一定額を配るだけで本当に生活が保障できるのかという問題もあります。
さらに、
現金を配れば豊かな社会になるのか
という根本的な疑問もあります。
物価が大きく上昇すれば、
支給される金額の価値は下がります。
土地や住宅など、供給量が限られたものの価格が上がれば、
ベーシックインカムの多くが家賃へ消える可能性もあります。
つまり、
所得保障と、生活に必要なものの供給体制はセットで考える必要がある
ということです。
食料・医療・教育まで含めて考える必要がある
もし本当に、
「生きるために働くことを強制されなくなる社会」
を目指すのであれば、
単に毎月お金を配るだけでは足りないでしょう。
最低限必要な、
- 食料
- 住居
- 医療
- 教育
- 介護
- 通信
- エネルギー
などを、誰もが利用できる仕組みも必要になります。
AIとロボットによって、
これらのコストそのものを大きく下げることができれば、
必要な現金も少なくできます。
たとえば食料生産が大幅に自動化されれば、
食費は下がるかもしれません。
AIによる医療支援が進めば、
医療の一部は低コスト化できるかもしれません。
AI教師が普及すれば、
質の高い教育を低価格で提供できる可能性もあります。
つまり未来社会では、
「多くのお金を配る」より、「生きるために必要なお金を少なくする」
という考え方も重要になるでしょう。
これは共産主義になるということなのか
ここまで考えていくと、
「それでは資本主義ではなく、共産主義に近づくのではないか」
という疑問が出てきます。
確かに、
社会全体で富を再分配するという部分だけを見れば、
社会主義的な考え方に近く見えます。
しかし私は、
単純に昔の共産主義へ戻るとは思いません。
企業は存在する。
個人の財産も認める。
起業もできる。
競争もある。
成功すれば大きな富を得ることもできる。
その一方で、
生きるために必要な最低限の部分については、社会全体で保障する。
そんな形になるのではないでしょうか。
「競争」と「生存」を分ける社会
これまでの資本主義では、
競争に負ければ所得が減り、
場合によっては生活そのものが苦しくなります。
つまり、
経済競争と人間の生存が強く結びついています。
しかしAIによって社会全体が十分な生産力を持てるなら、
この二つを切り離すことができるかもしれません。
最低限の食料、住居、医療、教育などは保障される。
その上で、
もっと豊かな暮らしがしたい。
大きな家に住みたい。
高級車が欲しい。
会社を作りたい。
世界中を旅行したい。
という人は、働いたり、起業したり、投資したりする。
つまり、
「生きるための競争」ではなく、「より豊かに生きるための競争」へ変わる。
これなら資本主義的な競争を残しながら、
最低限の生活も保障できます。
働かない人と働く人の間に新しい問題も生まれる
ただし、この社会にも問題はあります。
最低限の生活が保障されるようになれば、
当然、
「働かない人が増えるのではないか」
という議論が起きるでしょう。
毎日働いて税金を払っている人からすれば、
「なぜ働いていない人まで同じように保障されるのか」
と思うかもしれません。
逆に、
AIやロボットが十分な富を生み出しているなら、
「なぜ人間は生活費を得るためだけに働かなければならないのか」
という考え方も出てきます。
これは単なる経済問題ではありません。
私たちの「働くこと」に対する価値観そのものを変える問題
です。
「仕事をしない」と「何もしない」は違う
将来、生活のために働く必要がなくなったとしても、
人間が何もしなくなるとは限りません。
料理をする。
農作物を育てる。
絵を描く。
小説を書く。
スポーツをする。
研究する。
地域活動をする。
子どもを教える。
高齢者を支える。
新しい会社を作る。
今なら「仕事」と呼ばれている活動の多くを、
生活費を得るためではなく、自分がやりたいから行う
ようになるかもしれません。
そう考えると、
AI時代の理想社会は、
「人間が働かない社会」ではなく、「働く理由を自分で選べる社会」
なのかもしれません。
そして政府の役割は今より重要になる
ここで大きな問題がもう一つあります。
AIによって生み出された富を集め、
社会へ再分配する役割を誰が担うのか。
最終的には、政府ということになるでしょう。
税金を集める。
社会保障を設計する。
教育や医療を提供する。
最低限の生活を保障する。
AI企業や巨大資本とルールを作る。
つまり、
AIによって民間企業の効率化が進むほど、
富の分配を調整する政府の役割は、むしろ大きくなる可能性があります。
しかし政府が大きな力を持てば、
別の危険も生まれます。
税金。
所得。
資産。
医療情報。
購買履歴。
位置情報。
そして将来、通貨まですべてデジタル化したらどうなるでしょう。
AIは、理想的な社会保障制度を作るための道具にもなります。
しかし同時に、
非常に強力な監視社会を作る道具にもなり得ます。
AI時代に必要なのは「大きな政府」ではないのかもしれない
だからこそ私は、
AI時代には単純に「大きな政府」が必要になるとは思いません。
むしろ必要なのは、
小さくても、効率的で、透明性が高く、強力な政府
なのではないでしょうか。
行政そのものにもAIを活用する。
無駄な事務作業を減らす。
複雑すぎる制度を簡素化する。
必要な支援を必要な人へ迅速に届ける。
そして何より、
富の再分配を担う組織そのものが腐敗しない仕組み
が必要です。
夢の21世紀を決めるのは、AIの性能ではない
AIの性能は、これからさらに高くなるでしょう。
ロボットも進歩します。
人間が働かなくても、
必要な物やサービスを生産できる時代が来る可能性があります。
しかし、
それだけでは夢の21世紀にはなりません。
その富が一部の企業や人だけに集中するのか。
それとも社会全体へ循環するのか。
最低限の生活を保障しながら、
個人の自由や競争も残せるのか。
政府は富を公平に分配できるのか。
それともAIを使った巨大な監視国家になってしまうのか。
結局、
「夢の21世紀」が実現するかどうかを決めるのは、AIの能力よりも、人間が作る制度なのかもしれません。
次回は、
「お金そのものが必要なくなる日は来るのか」
というテーマから、
現金の消滅、電子マネー、デジタル通貨、国家と通貨、
そしてAI時代のお金の意味について考えてみたいと思います。
この記事が、どこかで
「ためになるかもしれない」と思っていただけたら嬉しいです。

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