私たちが夢見た「21世紀」はどこへ行ったのか

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子どもの頃、「21世紀」という言葉には、今とは少し違う響きがありました。

21世紀になれば、病気はほとんど克服され、人間そっくりのアンドロイドが生活を手伝い、自動車は空を飛び、宇宙へも気軽に旅行できる。

そんな未来が、本当にやってくると思っていました。

テレビアニメや雑誌に描かれていた未来都市には、高層ビルの間を飛び交う乗り物があり、家庭にはロボットがいて、人間は今よりもずっと自由で、豊かで、安全に暮らしていました。

ところが、21世紀になってからすでに四半世紀以上が経ちました。

2026年の今、私たちは本当にあの頃に思い描いた「未来」に暮らしているのでしょうか。

21世紀になっても、病気も戦争もなくならなかった

もちろん、技術は大きく進歩しました。

インターネットは世界中をつなぎ、スマートフォン一台で買い物も仕事も銀行取引もできます。

かつて大型コンピュータでなければできなかった処理を、今では手のひらに収まる端末で行えます。

それでも、人間の暮らしそのものが「夢の21世紀」になったかといえば、少し違います。

病気は今もなくなっていません。

高齢化が進み、長寿になった一方で、長い期間を病気と付き合いながら生活する人も増えています。

交通事故では今も人が亡くなり、負傷します。

世界では戦争や紛争が続き、技術が進歩した結果、兵器まで高度化しました。

日本では少子化が進み、「人口が増えて未来が広がる社会」よりも、「減っていく人口で社会をどう維持するか」が大きな課題になっています。

私たちが夢見た未来は、まだ完全には訪れていません。

技術は進歩した。でも設計思想は正しかったのか

ここで、ひとつ考えてしまうことがあります。

それは、自動車です。

自動車は長い間、

「人を速く、遠くへ移動させる乗り物」

として進化してきました。

エンジンは高性能になり、最高速度は上がり、道路も高速道路も整備されました。

しかし、もし最初から設計思想が違っていたらどうでしょう。

たとえば、

「人をできるだけ安全に目的地へ移動させる仕組み」

という発想から、自動車や道路、交通システムそのものを設計していたとしたら。

衝突しないことを最優先にし、仮に衝突しても人が死なない。

人間が判断を誤っても、システム側がそれを補う。

そうした思想が100年前から中心にあったなら、現在の交通社会はかなり違う姿になっていたかもしれません。

これは今さら過去を責めても仕方のない話です。

ただ、これからAIやロボットの社会を作るうえでは、非常に重要な教訓だと思います。

「何が作れるか」ではなく「何のために作るか」

新しい技術が生まれると、私たちはつい、

  • どれだけ速いか
  • どれだけ安いか
  • どれだけ高性能か
  • どれだけ人間の代わりができるか

というところに目を向けます。

しかし、本当に重要なのは、その技術で

「人間をどう幸せにするのか」

ではないでしょうか。

AIが人間より速く文章を書ける。

ロボットが人間より正確に製品を組み立てられる。

自動運転車が人間より安全に運転できる。

そうした技術が実現したとしても、それだけで社会全体が幸せになるとは限りません。

技術の目的が「生産性向上」だけになれば、企業の利益は増えても、人間の暮らしが豊かになるとは限らないからです。

それでも、ここ1〜2年で未来が少し近づいた

そんなことを考えながらも、最近になって私自身の考えは少し変わってきました。

もしかすると、子どもの頃に夢見た21世紀は来なかったのではなく、

30年ほど遅れて、今まさに始まりつつあるのではないか。

そう感じることが増えてきたのです。

その理由のひとつが、AIの急速な進化です。

少し前まで「コンピュータが人間のように会話する」という話はSFの世界でした。

ところが今では、AIと普通に会話し、文章を書かせ、プログラムを作らせ、画像を生成し、仕事の相談までできるようになりました。

ロボットの世界でも、人間のように歩き、物を運び、工場や倉庫で働く技術が現実になりつつあります。

さらに医療では、再生医療やiPS細胞を使った治療など、かつてなら夢物語と思われていた研究が、少しずつ実際の治療へ近づいています。

もちろん、まだ「病気のない世界」ではありません。

しかし少なくとも、

「そんなことは不可能だ」

と言い切れない時代には入ってきたと思います。

自然災害はなくせなくても、被害は減らせるかもしれない

未来社会を考えるうえで、もうひとつ忘れてはいけないのが自然災害です。

地震、津波、豪雨、台風、洪水、土砂災害、山火事。

科学技術がどれだけ進歩しても、自然そのものを完全に制御することは難しいでしょう。

しかし、

「災害をなくすこと」と「災害で人が亡くならないようにすること」は別です。

AIによる予測、センサーによる監視、ドローンによる捜索、ロボットによる救助、リアルタイムの避難誘導。

さらに街そのものを、災害が起きても致命的な被害が出にくい構造に変えていくこともできます。

ここでも、自動車と同じ発想が必要なのかもしれません。

「災害が起きたら助ける」のではなく、

「災害が起きても人が死なない社会を最初から設計する」

という考え方です。

私たちは今、本当の21世紀の入口にいるのかもしれない

20世紀に描かれた未来予想図は、少し楽観的すぎたのかもしれません。

21世紀になれば、自動的に人類が幸せになるわけではありませんでした。

技術は進歩しても、戦争はなくならず、貧困も格差も病気も残りました。

しかし、ここ数年のAIやロボット、医療技術の急速な進歩を見ていると、

これまでとは少し違う段階に入り始めたようにも感じます。

もしかすると、私たちが子どもの頃に思い描いていた「夢の21世紀」は、

21世紀の始まりには間に合わなかっただけなのかもしれません。

30年ほど遅れて、その入口がようやく見え始めた。

ただし、ここで大きな問題があります。

AIやロボットが人間の代わりに働き、生産性が飛躍的に向上したとき、

その豊かさは、本当にすべての人に行き渡るのでしょうか。

企業はより少ない人数で、今まで以上の利益を上げられるようになるかもしれません。

その一方で、仕事を失う人が大量に生まれる可能性もあります。

「働かなくても生きていける社会」が訪れる前に、

「働きたくても仕事がない社会」

が先に来るかもしれません。

次回は、

「30年遅れで始まった夢の21世紀」

について、AI、ロボット、医療技術などの進歩から考えてみたいと思います。


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