人間は本当に賢いのだろうか|CO2を減らせば環境問題は解決するのか

スポンサーリンク

CO2を減らす。再生可能エネルギーを増やす。森林を守る。野生動物による被害を減らす。
一つ一つを見れば、どれも正しいことのように思えます。
でも、それらを全部つなげて考えたとき、本当に私たちは正しい方向へ進んでいるのでしょうか。

スポンサーリンク

果たして人間は、本当に賢いのだろうか

最近、そんなことを考えることがあります。

たとえばCO2の問題です。

世界中で温室効果ガスの排出量を減らそうとしています。

化石燃料への依存を減らし、太陽光、風力、水力、地熱などの再生可能エネルギーを増やしていく。

その方向そのものに異論があるわけではありません。

しかし、一つの数字だけを見るのではなく、その対策によって別の場所で何が起きるのかまで考えてみると、話はそれほど単純ではないように思えてきます。

一つの問題を解決するために、別の問題を作ってはいないだろうか。

今回は、そんな視点から環境問題を考えてみたいと思います。

再生可能エネルギーが増えれば、それですべて解決なのか

日本でも再生可能エネルギーによる発電は増えてきました。

化石燃料を燃やす発電から、CO2排出の少ない発電方法へ移行することは、温暖化対策を考えれば重要です。

しかし、ここで少し立ち止まって考えてみます。

「発電するときにCO2をあまり出さない」ことと、「環境全体への負荷が小さい」ことは、本当に同じなのでしょうか。

たとえば太陽光発電。

太陽の光を利用して発電するため、発電時に燃料を燃やす必要がありません。

非常に魅力的なエネルギーです。

しかし、どこに設置するのかによって話は変わってきます。

森林を切って太陽光パネルを設置するという矛盾

太陽光発電設備の中には、森林を切り開いて設置されるものもあります。

森林はCO2を吸収し、炭素を蓄えます。

それだけではありません。

水を蓄え、土壌を守り、多くの生物に住む場所を提供しています。

そこを切り開いて太陽光パネルを設置する。

もちろん、すべての太陽光発電が森林を破壊しているわけではありません。

住宅や工場の屋根、すでに開発された土地などを利用する方法もあります。

それでも、CO2を減らすことを目的とした設備のために森林を失う場所があるとすれば、私は少し不思議なものを感じます。

私たちは、何を守るために、何を失っているのでしょうか。

太陽光パネルにも「その後」がある

もう一つ気になるのが、設備の寿命を迎えた後です。

太陽光パネルも永久に使えるわけではありません。

大量に普及した設備は、いずれ大量に交換・廃棄される時期を迎えます。

そうなれば、回収、運搬、リサイクル、最終処分にもエネルギーと費用が必要になります。

環境問題を考えるのであれば、

  • 原材料を採掘する
  • 製造する
  • 輸送する
  • 設置する
  • 発電する
  • 保守する
  • 撤去する
  • 再利用・リサイクル・処分する

という最初から最後までを見る必要があります。

発電している瞬間だけを切り取って評価してよいのだろうか。

そんな疑問が出てきます。

だったら水力や地熱ならいいのか

そこで次に考えたくなるのが、水力発電や地熱発電です。

太陽光は日照や天候によって発電量が変わります。

それに対して、水力や地熱にはそれぞれ異なる特徴があります。

特に地熱資源に恵まれた日本では、地熱発電をもっと利用できないのだろうかと思うことがあります。

ところが調べていくと、ここにも簡単ではない事情があります。

地熱なら、地下資源を探すための調査や掘削に費用がかかり、開発に時間も必要です。温泉地など地域との調整も必要になります。

水力も、新しい大規模ダムを簡単に造れるわけではありません。

河川や周辺の生態系への影響も考えなければなりません。

つまり、

「太陽光が悪いから水力にすればいい」

というほど単純な話でもありません。

どの発電方法にも長所があり、同時に別の負荷や制約があります。

結局必要なのは、どれか一つを「正解」にすることではなく、それぞれの特徴を理解したうえで組み合わせ、全体として負荷を小さくすることなのでしょう。

供給方法を考える前に「なぜこれほど使うのか」

ここまで考えて、もう一つ大きな疑問に気付きました。

太陽光がいいのか。

水力がいいのか。

地熱がいいのか。

原子力はどうするのか。

私たちは主に、

「必要なエネルギーをどうやって供給するか」

を議論しています。

これはいわば供給側の議論です。

でも、その前に需要側があります。

そもそも、なぜこれほど大量のエネルギーが必要なのでしょうか。

エネルギー需要そのものを減らすことはできないのか

人口、産業、交通、住宅、データセンター、そして私たちの日常生活。

社会が便利になればなるほど、多くの場所でエネルギーが使われます。

需要が増え続ければ、それを満たすために供給も増やさなければなりません。

すると、

電力が必要になる。

発電設備を増やす。

環境への影響が出る。

その影響を抑えるために、さらに別の設備や制度を作る。

そんな追いかけっこになってしまう可能性があります。

ならば、供給を増やすことと同時に、

「同じ生活や仕事を、もっと少ないエネルギーで実現できないか」

を考える必要があるのではないでしょうか。

我慢する省エネではなく、賢く使う省エネ

これは「昔の不便な生活に戻ろう」という話ではありません。

たとえば、

  • LED照明
  • 断熱性能の高い住宅
  • 高効率な空調
  • ヒートポンプ
  • 省電力の半導体や機器
  • 工場の省エネルギー化
  • 廃熱の利用
  • 電力需要に応じた制御

など、同じ結果をより少ないエネルギーで得る方法があります。

需要を「我慢して減らす」のではなく、効率を高めて減らす。

これは非常に重要な考え方だと思います。

ただし、ここにも落とし穴があります。

効率が良くなれば、本当に消費量は減るのか

機械の効率が良くなれば、同じ仕事を少ないエネルギーで行えるようになります。

しかし、それによって利用料金が安くなったり便利になったりすれば、今度は以前より多く使うようになるかもしれません。

エアコンが省エネになったから、以前より長時間使う。

コンピューターが省電力になったから、より多くのコンピューターを使う。

一回あたりの処理に必要なエネルギーが減っても、処理する量そのものが何倍にも増えれば、社会全体の消費量は減らないかもしれません。

つまり、

「効率を上げること」と「総消費量を減らすこと」も同じではない。

ここでも、部分だけを見ると見落としてしまうものがあります。

CO2を回収する装置を作れば解決なのか

CO2を排出しない方法だけでなく、排出されたCO2を回収する技術も研究・実用化されています。

これも一見、とても合理的です。

大気中や工場などからCO2を回収できるなら、温暖化対策につながります。

しかし、ここでも同じ疑問が出てきます。

その装置を作るために、どれだけの資源とエネルギーを使ったのか。

原材料を採掘する。

部品を製造する。

工場から運ぶ。

装置を設置する。

そしてCO2を回収するためにエネルギーを使う。

さらに保守や廃棄も必要です。

もちろん、それらを含めても十分なCO2削減効果がある技術なら意味があります。

だからこそ重要なのは、

「何トン回収したか」だけではなく、最初から最後まで含めて評価すること

なのだと思います。

カーボンクレジットで「ゼロ」になれば、それでいいのか

もう一つ興味深いのが、カーボンクレジットです。

自分たちの活動だけでは削減しきれない排出量について、別の場所で行われた削減や吸収などの価値をクレジットとして利用する仕組みがあります。

この仕組みそのものには、削減活動に資金を流すという意味があります。

一方で、私はここでも数字だけを見てしまう危険を感じます。

帳簿上では排出量とクレジットが相殺され、一定のルールのもとで「実質ゼロ」と扱われることがあります。

しかし、本当に重要なのは数字がゼロになったことではありません。

そのクレジットによって、実際に新たなCO2削減や吸収が生まれたのか。

そこを見る必要があります。

帳簿上のカーボンニュートラルと、大気中のCO2が実際に減ることは、必ずしも同じ意味ではありません。

森は「CO2吸収装置」ではない

そして、最初の森林の話に戻ります。

CO2問題だけを見れば、森林は「CO2を吸収する場所」に見えるかもしれません。

エネルギー問題だけを見れば、「発電設備を設置できる土地」に見えるかもしれません。

水の問題から見れば、水を蓄える場所です。

土砂災害の問題から見れば、土壌を守る場所です。

そして野生動物から見れば、

そこは「住まい」です。

同じ森なのに、人間がどの問題を見ているかによって、その価値がまったく違って見えます。

クマやシカ、イノシシは「人里に来た」のか

近年、クマやシカ、イノシシなどによる農作物被害や人的被害が問題になります。

人命に関わる以上、必要な対策を取らなければならないのは当然です。

ただ、野生動物が人里に現れる理由も、一つではありません。

個体数や分布域の変化、食物の状況、人間による土地利用の変化、人里と山との境界の変化など、さまざまな要因があります。

人間から見れば、

「クマが人里に来た」

となります。

でも野生動物の側から見たら、どうなのでしょう。

彼らが暮らしていた環境を、人間の側が少しずつ変えてきた場所もあるでしょう。

どちらが相手の領域に入ったのか。

視点を変えると、問題の見え方も変わってきます。

人間は「部分」を解決するのが得意なのかもしれない

ここまで考えて、一つの共通点に気付きます。

CO2が増えた。

CO2を減らそう。

再生可能エネルギーを増やそう。

太陽光パネルを増やそう。

廃棄パネルが増える。

リサイクルしよう。

CO2が出る。

回収しよう。

削減できない。

クレジットで相殺しよう。

野生動物が人里に来る。

野生動物対策をしよう。

一つ一つを見ると、それぞれ合理的です。

でも、少し離れたところから全部を眺めてみると、

人間は問題を「部分」で解決することには長けているけれど、「全体」を見ることは案外苦手なのではないか。

そんな気がしてきます。

数字になったものだけを見ていないだろうか

人間は、測れるものを管理するのが得意です。

  • CO2排出量
  • 再生可能エネルギー比率
  • 発電量
  • 消費電力量
  • 森林面積
  • カーボンクレジット量

数字になれば目標を設定できます。

前年と比較できます。

達成率も計算できます。

しかし自然は、一つの数字だけで動いているわけではありません。

森林。

水。

土。

生物。

エネルギー。

地域社会。

経済。

そして私たちの生活。

すべてがつながっています。

一つの数字を改善したことで、全体も良くなったと思い込んではいないでしょうか。

「これをすると、その次に何が起きるのだろう?」

CO2を減らすことは大切です。

再生可能エネルギーを増やすことも必要でしょう。

省エネルギー技術も、CO2回収技術も、より良いものへ進歩していく必要があります。

私は、それらを否定したいわけではありません。

むしろ人間には、問題を見つけ、新しい技術を生み出し、解決しようとする力があります。

それは間違いなく、人間の賢さの一つなのでしょう。

でも、本当に賢いというのは、そこで終わらないことなのかもしれません。

一つの問題を解決するとき、その先をもう一歩考える。

「これをすると、その次に何が起きるのだろう?」

そして、もう一度考える。

「その次には、何が起きるのだろう?」

需要から供給へ。

発電から廃棄へ。

CO2から森林へ。

森林から水や野生動物へ。

環境から経済や私たちの暮らしへ。

できるだけ長い線でつなげて考えてみる。

もしかすると人間に今一番必要なのは、新しい技術だけではなく、

「全体を見る」という、とても当たり前で難しいことなのかもしれません。

果たして人間は、本当に賢いのでしょうか。

私自身も、その答えはまだ分かりません。

この記事が、どこかで「ためになるかもしれない」と思っていただけたら嬉しいです。


 

 

コメント