
ここまで6回にわたって、マレーシアとシンガポールについて書いてきました。
ブミプトラ政策。
民族と公平。
1965年のシンガポール分離。
リー・クアンユーの国家経営。
そして約60年後の二つの国。
少し重い話が続きました。
そこでシリーズ最後は、もっと身近なものを比べてみたいと思います。
料理です。
政治的には1965年に別々の国になったマレーシアとシンガポール。
ところが食卓を見ると、
「これはどちらの国の料理なの?」
と簡単には答えられないものがたくさんあります。
ナシレマ。
ラクサ。
海南鶏飯。
福建麺。
バクテー。
どれもマレーシアでも食べられます。
シンガポールでも食べられます。
そして面白いことに、
同じ名前なのに味が違う。
国境とは、なかなか面白いものです。
そもそも「どちらの料理?」と聞くこと自体が難しい
現在はマレーシアとシンガポールという二つの国ですが、この地域の食文化は国境ができるよりずっと前から存在しています。
マレー人。
中国南部から移住してきた福建人、潮州人、広東人、海南人、客家。
インドから来たタミル系住民。
さらにプラナカン文化。
さまざまな人々がマラッカ海峡周辺を行き来しながら、それぞれの料理を持ち込み、現地の材料や味覚と混ざっていきました。
だから、
「この料理はシンガポールが発明した」
「いや、マレーシアの料理だ」
と現在の国境だけで争っても、なかなか答えは出ません。
料理の方が国境より古いからです。
ナシレマ|マレー料理だけどシンガポールでも国民食
まずはナシレマ。
ココナッツミルクとパンダンリーフで炊いた香りのよいご飯に、
サンバル。
イカンビリス。
ピーナッツ。
卵。
キュウリ。
などを添える料理です。
これはルーツをたどれば、マレー料理です。
シンガポールのNational Heritage Boardも、ナシレマにはマレー料理としてのルーツがあり、マレーシア西海岸の海辺の共同体で発展したと紹介しています。
ところが現在では、シンガポールでも非常に身近な料理です。
マレー系だけが食べるものではありません。
華人もインド系も外国人も食べる。
シンガポールのホーカーセンターへ行けば、普通にナシレマの有名店があります。
料理は民族の境界さえ軽々と越えていきます。
海南鶏飯|海南島から来て、東南アジアで別の料理になった
次は海南鶏飯、いわゆるチキンライスです。
シンガポールへ行けば、
「Singapore Chicken Rice」
として観光客にも非常に有名です。
しかし名前のとおり、ルーツは中国の海南島にあります。
海南島から東南アジアへ移住した人たちが、現地で料理を変化させていきました。
現在の海南鶏飯は海南島の文昌鶏をそのまま持ってきたものではなく、広東料理の調理法や東南アジアの食材なども取り入れながら発展した料理です。
しかもチキンライスはシンガポールだけでなく、マレーシアでもごく普通に食べられています。
「どちらの国の料理?」
と聞くより、
「この地域で育った料理」
と考えた方が自然なのかもしれません。
ラクサ|一つの名前で何種類あるの?
ラクサになると、さらにややこしくなります。
「ラクサ」と一言で言っても、地域によってまったく違います。
ココナッツミルクの濃厚なスープ。
魚を使った酸味のあるスープ。
太い米麺。
細い麺。
地域ごとに別の料理と言っていいほど違います。
シンガポールではカトン・ラクサが有名です。
一方マレーシアには、
ペナンのアッサムラクサ。
サラワクラクサ。
ニョニャラクサ。
などがあります。
ラクサそのものが、中国系とマレー系など複数の文化が混ざった料理です。
一つの国の「所有物」にすること自体が難しい料理だと思います。
そして私の好きな福建麺
ここからは個人的な好みも入ります。
福建麺です。
福建麺、Hokkien Mee。
面白いのは、
シンガポールで福建麺を注文するのと、クアラルンプールで福建麺を注文するのでは、まったく違う料理が出てくること。
です。
シンガポール福建麺は海鮮の旨味
シンガポールで一般的にHokkien Meeと呼ばれるのは、
黄色い中華麺とビーフンを一緒に炒め、エビやイカなどの海鮮、豚肉などを加え、海鮮や豚の旨味を含んだスープを吸わせた料理です。
仕上げにライムを絞り、サンバルを添える。
見た目は比較的淡い色です。
しかし食べてみると、エビなどの旨味が麺にしっかり入っています。
私はこのスタイルがかなり好きです。
福建麺なら、私はシンガポール派です。
クアラルンプールの福建麺は真っ黒
ところがクアラルンプールでHokkien Meeを注文すると、雰囲気が一変します。
出てくる麺が、
黒い。
かなり黒い。
太い麺を濃い色の醤油で炒め、豚肉、キャベツ、海鮮などを加えた濃厚な料理です。
同じ「Hokkien Mee」という名前なのに、
シンガポール版とはかなり違います。
興味深いことに、シンガポールの中国文化を紹介する公的資料でも、現在「Kuala Lumpur Hokkien Mee」と呼ばれている黒い福建麺は、かつてシンガポールでも食べられていた古いスタイルの福建料理と関連があると説明されています。
つまり、
同じ福建系移民の料理が、それぞれの土地で別々に進化した。
わけです。
料理版のマレーシア・シンガポール分離のようで面白いですね。
そしてバクテーは逆にマレーシア派
もう一つ、両国で大きく違う料理があります。
バクテー(肉骨茶)
です。
豚のスペアリブなどを煮込んだ料理ですが、これもシンガポールとマレーシアでは味の方向がかなり違います。
シンガポールは白くて胡椒が効く
現在シンガポールで主流なのは、潮州系のバクテーです。
スープは比較的透明。
ニンニクと白胡椒がよく効いています。
一口飲むと、
「胡椒!」
という感じです。
これはこれでおいしい。
特にシンガポールの暑い気候の中で食べると、汗をかきながらどんどん食べられます。
マレーシアのクランは黒くて薬膳
一方、私が好きなのはマレーシアのバクテーです。
特に有名なのがクラン。
こちらはスープが濃い色をしています。
醤油に加え、当帰、シナモン、クローブなどさまざまな漢方・香辛料を使った薬膳系。
豚肉の旨味と薬草の香りがしっかりしています。
私はこちらの方が好みです。
バクテーなら、私はマレーシア派。
つまり、
福建麺はシンガポール。
バクテーはマレーシア。
です。
国家政策の比較と違って、こちらは完全に私の好みです(笑)。
面白いのは、昔の味が国境の反対側に残ること
福建麺とバクテーを調べていて、とても面白いことに気づきます。
現在シンガポールでは、白胡椒の効いた潮州系バクテーが主流です。
しかし昔のシンガポールには、福建系の濃い薬膳バクテーも存在していました。
そのスタイルは現在、むしろマレーシアのクランで有名です。
福建麺も同じです。
現在のシンガポールでは海鮮系のFried Hokkien Prawn Meeが主流。
一方、昔ながらの濃い色の福建麺に近いスタイルは「KL Hokkien Mee」としてマレーシア側で強く残っています。
国境ができたことで料理が完全に二つに分かれたわけではありません。
ある土地では新しいスタイルが主流になり、昔のスタイルが別の土地で残る。
文化とはそういうものなのかもしれません。
ホーカーセンターは多民族社会の縮図
シンガポールの食文化を語るなら、ホーカーセンターを外すことはできません。
2020年、
「シンガポールのホーカー文化」
はユネスコ無形文化遺産の代表一覧に登録されました。
ここで重要なのは、特定の料理一品が登録されたわけではないことです。
登録されたのは、
多民族の人たちが集まり、一緒に食事をする文化そのもの。
です。
ホーカーセンターを歩けば、
中華料理。
マレー料理。
インド料理。
プラナカン料理。
さまざまな料理が同じ空間に並んでいます。
マレー系の人が中華系の店の近くで食べる。
中華系の人がインド料理を食べる。
インド系の家族の隣で観光客がチキンライスを食べる。
政治の世界では民族の問題は非常にデリケートです。
でも食卓では、みんな同じテーブルを囲んでいる。
私はこの光景が、マレーシアやシンガポールという多民族社会の面白さを一番よく表しているように思います。
マレーシアの食堂も負けていない
もちろん、この多民族性はシンガポールだけのものではありません。
マレーシアへ行けば、
ママッ(Mamak)。
コピティアム。
フードコート。
屋台。
夜市。
さまざまな場所で複数の食文化が混ざっています。
マレー料理を食べた翌日にバクテー。
その次はバナナリーフカレー。
夜は福建麺。
朝はロティチャナイ。
数日いるだけで食事の国籍がどんどん変わります。
これもマレーシアの大きな魅力です。
国家は別れても、人の記憶は別れない
1965年。
マレーシアとシンガポールの間には国境ができました。
通貨も別になりました。
政治も別。
経済政策も別。
民族政策も違う方向へ進みました。
しかし、
人々が何百年も食べてきた料理まで、
「今日からこちらはマレーシア料理、こちらはシンガポール料理」
と分けることはできません。
祖父母から親へ。
親から子へ。
屋台から屋台へ。
移民から地域へ。
料理は政治とは別の時間を流れています。
60年前に別れた。でも、今も同じものを食べている
このシリーズでは、
ブミプトラ政策から始まり、
民族。
公平。
1965年の分離。
リー・クアンユー。
国家経営。
そして60年後の経済格差まで見てきました。
国家として見れば、マレーシアとシンガポールはかなり違う道を歩んできました。
でも最後に食卓を見ると、
やっぱり同じ地域なんだな。
と思います。
ナシレマを食べる。
海南鶏飯を食べる。
ラクサを食べる。
福建麺を食べる。
バクテーを食べる。
そして、
「うちの方がおいしい」
と言い合う(笑)。
それくらいが、ちょうどいいのかもしれません。
国境は引けても、文化には線を引けない
マレーシアとシンガポール。
一度は同じ国になり、わずか2年で別れました。
それから約60年。
国家としては大きく違う国になりました。
しかし料理を見ていると、
文化というものは、政治家が引いた国境線ほど簡単には分けられない。
ということがよく分かります。
むしろ国境を越えたあと、それぞれの土地で少しずつ味が変わり、新しい文化になっていく。
シンガポール福建麺とKL福建麺。
シンガポールの白胡椒バクテーとクランの薬膳バクテー。
どちらが本物なのか。
私は、あまり興味がありません。
両方食べればいい。
それが一番です。
ただし私の場合、
福建麺はシンガポール。
バクテーはマレーシア。
ここだけは譲れません(笑)。
※料理の起源は、人の移動や地域文化の混合によって形成されているため、単一の国を「発祥」と断定することが難しいものもあります。本記事ではマレーシアとシンガポール双方の文化的背景を尊重し、どちらが料理を「所有するか」を論じることを目的としていません。
参考資料
- UNESCO「Hawker culture in Singapore, community dining and culinary practices in a multicultural urban context」
- Singapore National Heritage Board / Roots.sg「Nasi Lemak」
- Singapore National Heritage Board / Roots.sg「Chicken Rice」
- Singapore National Heritage Board / Roots.sg「Laksa」
- Singapore Chinese Cultural Centre「Hokkien Food in Singapore」


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