私は長年コンピュータシステムエンジニアとして企業の業務効率化向上について常に考え、提案し、システムを開発してきました。
その私があえて非効率をすすめるのはなぜか?
非効率に教えられたこと
「効率化」「合理化」この言葉を常に念頭に私は多くの企業の業務改善に取り組んできました。
これにより作業効率が上がり利益率が改善した、業績が上がった実績が数多くありました。
もちろん効率化や合理化は企業の業績を伸ばす上で必要不可欠のことです。
定型業務は効率的に
コンピュータの出現により企業活動の中で効率化が図れたものとして
- 財務会計
- 原価計算
- 給与計算
- 受注~出荷~売上~請求処理
- 発注~入荷~仕入~支払処理
- 在庫管理
- 生産管理
等、多くの定型業務あります。
こういった業務が効率化されたことにより我々の実生活で注文すれば翌日入手できる仕組みが出来ました。
また多くの人が月末締めや決算処理、給与支払いによる残業から逃れることも出来ました。
企業活動、特に定型業務といわれるものは効率化を追求することはこれからも必要です。
効率的・合理的では見えないもの
小さい子供が積み木で遊んでいるのを大人の目で見てしまうと「あそこに四角いのを乗せた方が安定してその上に積むのが楽になるのに」とか思います。
積んでは倒れ、倒れてはまた積み、そんなことを繰り返しながら子供はどうすれば思うものが作れるのか試行錯誤しその中から多くのことを学びます。
例えば積み木で家を作るつもりが滑り台になったとか、ロボットになったとか、そのようなことが貴重な経験になって体験から学んでいくのでしょう。
振り返ってみると私自身のRPGやCOBOLのプログラミングの勉強は非常に非効率的なものでした。現在のようにGoogleで検索して調べられる環境も学習書もなかった頃ですので、分厚いマニュアルを見ながらソースコードをパンチしコンパイル、そして実行して失望するということを繰り返しながら少しずつ覚えた体験は非効率ながらも体の芯まで染み込むように習得できました。
私が体験した非効率から学んだこと
私がこの記事を書くキッカケはある一日に起きた2つの出来事からです。
その時に非効率の大切さを改めて知り、メモに残しておいたので改めて書き起こしたいと思います。
既述の通り私は仕事柄長い間効率だけを求めていました。私生活においてもそのようにしていました。
- ドライブや旅行も最短距離で行きたい
- 買い物は目的のものだけ買う
- 等など
効率的であることは時間の節約にもなるし、頭脳的すらある、と思い込んでいました。
それが違っていました。
一見効率的でない馬鹿らしくもある非効率的な行動から新しい発見
ショッピングセンターに行った際トイレに行きたくなりました。
駐車場で待つしかないかとも思いましたはが、
そうしたら開店前にも関わらず開いてる入口があり、
もしあてもなく歩く事は非効率的だと思い、
そのショッピングセンターでドーナツを友人AとBに買って行こうと
AとBは姉妹なのでAの分をBに渡しておいたところ翌日Aから連絡があってAもドーナツが大好きで「とってもナイス」
このような発見が一日に二回あり、今までの考えを改めなければならないと実感しました。
時にはあえて非効率的な行動を取るべき!
または
考えるより動こう!
非効率について書かれた本をご紹介
子育て、教育、医療、福祉などは、元来非効率的であってこそ力となるものである。手づくり、試行錯誤のくりかえし、それを待てるゆとりが何よりも大切である。いずれも当面の数値目標をあげるよりも個々のプロセスに意味がある。したがって過度の効率化を求めることは、これらの分野では自殺行為に等しい。
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