
これまで2回にわたって、マレーシアのブミプトラ政策について書いてきました。
第1話では、
「そもそもブミプトラ政策とは何か」
第2話では、
「なぜ50年以上たった現在まで、その考え方が続いているのか」
を見てきました。
ここまで読んで、
「中華系やインド系のマレーシア人は、この制度をどう思っているのだろう?」
と感じた人もいると思います。
当然、民族によって制度上の扱いが異なることへの不満や、公平性を求める意見はあります。
しかし今回取り上げたいのは、そこではありません。
もっと興味深いのは、
制度によって保護されてきたブミプトラ、特にマレー系の中からも「このままでいいのか」という声が出ていることです。
これは日本人からすると、かなり興味深い話です。
「若いマレー人はブミプトラ政策に反対」は本当か?
私はマレーシアの若い人たちと話していて、
「ブミプトラ政策が長く続いたことで、親の世代は政府の支援に頼りすぎるようになったのではないか」
という趣旨の話を聞いたことがあります。
自分たちの世代は、もっと実力で競争すべきだ。
そんな考えを持つ若いマレー系の人もいます。
ただし、ここで注意しなければなりません。
「若いマレー人の多くがブミプトラ政策に反対している」わけではありません。
むしろ近年の若者を対象とした調査では、マレー系回答者の多数がブミプトラの特別な権利を維持することを支持したという結果もあります。
つまり、
「若者になれば自然に民族政策を否定する」
という単純な話ではないのです。
ここがマレーシアの難しいところであり、面白いところでもあります。
「保護は必要。でも、ずっと保護されていていいのか」
ブミプトラ政策への内部からの批判は、実は最近始まったものではありません。
象徴的なのが、マレーシアの元首相マハティール・モハマド氏です。
マハティール氏はブミプトラ政策そのものを否定してきた政治家ではありません。
むしろマレー系の経済的地位向上を非常に重視してきた人物です。
ところが2018年、彼は政府の援助を「松葉杖(crutch)」に例えました。
弱っているときには松葉杖が必要だ。
しかし、力が戻ったら松葉杖を手放さなければならない。
いつまでも政府の経済的・財政的支援に依存するべきではない、という趣旨です。
これはなかなか強烈な言葉です。
助けるために作った制度が、
いつの間にか「助けてもらうことが前提」の社会を作ってしまったのではないか。
そんな問いにも聞こえます。
「権利」になった瞬間、制度は変えにくくなる
本来、ブミプトラ政策は経済格差を縮小するための政策でした。
ところが制度が何十年も続くと、人々の受け止め方が変わってきます。
「困っているから支援を受ける」
ではなく、
「ブミプトラだから受けられる」
という考え方になっていく可能性があります。
さらに長く続けば、
「これは私たちの権利だ」
と感じる人が出てくるのも不思議ではありません。
そして一度「権利」として認識されたものを縮小するのは、非常に難しい。
これはマレーシアだけの話ではないでしょう。
補助金でも、税制優遇でも、社会保障でも同じです。
始めるのは比較的簡単です。
しかし、
一度与えたものをやめるのは、何倍も難しい。
政治家ならなおさらです。
恩恵を受けたのは、本当に支援が必要な人だけなのか
もう一つ、ブミプトラ政策に対して内部から出てきた重要な批判があります。
それは、
「本当に助けなければならないブミプトラに、十分な恩恵が届いているのか」
という問題です。
ブミプトラといっても一枚岩ではありません。
大企業を経営する裕福なマレー系の家庭もあります。
クアラルンプールで高収入を得る専門職もいます。
一方で、地方には低所得のマレー系家庭があります。
サバ、サラワクには経済的に厳しい状況にある先住民族もいます。
全員を同じ「ブミプトラ」という枠で支援することが、本当に公平なのでしょうか。
さらに、制度を利用する能力が高い人ほど、制度の恩恵を多く受けられるという問題もあります。
政府との関係がある企業。
情報を持っている人。
資金のある人。
そうした人たちの方が制度を活用しやすければ、本来助けるはずだった低所得層より、すでに豊かな人が多くの恩恵を受けることにもなりかねません。
アンワル首相も「民族だけ」からの変化を語っている
現在のアンワル・イブラヒム首相の発言も興味深いものがあります。
2023年、アンワル首相はアファーマティブ・アクションについて、
人種を基準とする政策から、必要性(need)をより重視する方向へ広げるべきだ
という考えを示しました。
つまり、
「マレー系だから支援する」
だけではなく、
「本当に支援を必要としている人だから支援する」
という考え方です。
これは日本人にとっては非常に理解しやすい考え方です。
裕福なマレー系家庭の子どもより、貧しい中華系家庭やインド系家庭の子どもの方が支援を必要としているなら、そちらを助ける。
一方で、都市部の裕福な家庭と、サラワクの農村部で暮らす貧しいブミプトラの子どもを単純な「実力主義」で競争させることも、本当に公平なのか。
アンワル首相はこの問題について、
「純粋なメリトクラシーだけでは公平にならない」
という立場を取っています。
実は政府も「全部なくす」とは言っていない
ここは非常に重要です。
アンワル政権は、
「もうブミプトラ政策はやめます」
と言っているわけではありません。
むしろ2026年現在も、政府はブミプトラの経済的地位向上を重要な国家政策として明確に維持しています。
教育でも象徴的な例があります。
大学進学につながるマトリキュレーション制度では、従来のブミプトラ枠を維持しながら、民族に関係なくSPMで10A以上を取得した成績優秀者には入学機会を保証する方向が打ち出されました。
つまり、
「ブミプトラを守る」
と
「実力のある非ブミプトラにも機会を与える」
を両立させようとしているわけです。
簡単ではありません。
保護とメリトクラシー、どちらが正しい?
ここで、私自身も考えてしまいます。
能力のある人を評価する。
努力した人が報われる。
これは当然のように思えます。
しかし、スタート地点がまったく違う人を同じ条件で競争させることは、本当に公平でしょうか。
東京の恵まれた家庭で最高の教育を受けた子どもと、教育環境の整っていない地方の貧しい家庭の子ども。
同じ試験で点数だけを比べ、
「実力だから」
と言っていいのか。
これは日本にも通じる問題です。
だから私は、アファーマティブ・アクションそのものを否定するつもりはありません。
問題は、
「誰を、何のために、いつまで支援するのか」
だと思います。
「民族」で助けるのか、「必要な人」を助けるのか
半世紀前のマレーシアでは、
「民族」と「経済格差」がかなり強く結び付いていました。
そのため民族を基準にした政策にも、当時なりの合理性がありました。
しかし現在は違います。
裕福なマレー系もいる。
貧しい中華系もいる。
貧しいインド系もいる。
そして、現在も厳しい環境に置かれている地方のブミプトラもいる。
こうなると、
民族を支援する政策から、必要な人を支援する政策へ。
少しずつ軸を動かしていく必要があるのではないか、という議論が出てくるのは自然なことだと思います。
でも、若いマレー系の多数がそれを望んでいるわけではない
ここで最初の話に戻ります。
都会の若いマレー系の人たちと話していると、
「もう民族による優遇は必要ない」
「自分たちも競争した方が強くなる」
といった意見を聞くことがあります。
しかし、それをマレー系全体の意見だと思ってはいけません。
最近の若者を対象とした調査では、マレー系回答者の73%がブミプトラの特別な権利を維持したいと答えたと報じられています。
むしろ多数派は維持を支持しているのです。
これをどう見るか。
「既得権を手放したくない」
と簡単に批判することもできます。
しかし本人たちにとっては、
「自分たちの将来を守るための仕組み」
なのかもしれません。
あるいは、
「この制度がなくなったら、また経済格差が広がるのではないか」
という不安かもしれません。
外国人である私たちには、なかなか見えない感覚があります。
中華系、インド系はどう感じているのか
一方、同じマレーシア国民である中華系やインド系から見れば、別の景色が見えます。
自分もマレーシアで生まれた。
親もマレーシア人。
税金も払っている。
国を愛している。
それなのに、
民族によって利用できる制度や機会が違う。
日本人として考えると、
「自分だったらどう感じるだろう?」
と思わずにはいられません。
ただ、この問題はマレーシアでは非常にデリケートです。
歴史、政治、経済、民族、宗教まで絡んできます。
単純な「賛成」「反対」では語れません。
保護は人を強くするのか、弱くするのか
今回いろいろ調べていて、最後に残ったのはこの問いでした。
人を守ることは、その人を強くするのでしょうか。
教育の機会を与える。
事業を始める機会を与える。
貧困から抜け出すための支援をする。
これは間違いなく必要です。
しかし、
「あなたは保護される側です」
と言われ続けることが何十年も続いたらどうでしょう。
いつか、
「自分たちは保護されなければ競争できない」
という意識を生んでしまう可能性はないでしょうか。
逆に、制度を一気になくしてしまえば、本当に助けを必要としている人まで競争から取り残されます。
だから難しい。
松葉杖は必要です。
しかし、いつ松葉杖を外すのか。
あるいは、松葉杖が必要なのは「民族」なのか、それとも「困っている個人」なのか。
半世紀以上続いたブミプトラ政策は、今まさにそんな問いを突きつけられているように思います。
そして、もう一つの国は違う道を選んだ
ここまでマレーシアの民族政策について考えてきました。
ところが、非常に興味深いことがあります。
かつてマレーシアと同じ国だった場所が、すぐ隣にあります。
シンガポールです。
同じようにマレー系、中華系、インド系が暮らす多民族社会。
1963年には同じ「マレーシア」という国家になりました。
ところが、わずか2年後の1965年。
両者は別々の道を歩き始めます。
そして、それから約60年。
マレーシアとシンガポールは、驚くほど違う国になりました。
次回は時計を1965年に戻します。
なぜシンガポールはマレーシアから分離したのか。
そして、リー・クアンユーはなぜ涙を流したのか。
ここから、このシリーズのもう一つの物語が始まります。
※本記事はマレーシアの社会・経済政策について、日本人の視点からその背景と議論を紹介するものです。マレー系、ブミプトラ、中華系、インド系など、いずれの集団にも多様な考え方があり、本文中の意見が各民族全体の考えを示すものではありません。また特定の民族、政策、政治勢力を支持または批判することを目的としていません。
参考資料
- Prime Minister’s Office of Malaysia「Affirmative Action Policies Should Extend From Race-Based To Need-Based」
- Prime Minister’s Office of Malaysia / MARA 60周年記念首相演説(2026年)
- Merdeka Centerによるマレーシア若年層の意識調査に関する報道
- Mahathir Mohamad氏のブミプトラ支援・政府依存に関する2018年演説
- Federal Constitution of Malaysia, Article 153
この記事が、どこかで
「ためになるかもしれない」と思っていただけたら嬉しいです。



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