資源がないなら「人」を資源にする|リー・クアンユーが作ったシンガポールという国家

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前回は、1965年8月9日、シンガポールがマレーシアから分離し、独立国家になったところまでを書きました。

独立といっても、シンガポールが長年望んで勝ち取った独立ではありません。

国土は小さい。

天然資源はほとんどない。

国内市場も小さい。

十分な軍事力もない。

そして水さえ隣国マレーシアに依存する。

現在の豊かなシンガポールを知っている私たちは、その後の成功を知っています。

しかし1965年当時、

「この国は本当に生き残れるのか」

という問題からスタートした国でした。

その小さな国を率いたのが、初代首相リー・クアンユーです。

彼が選んだ方法を、私なりに一言で表すなら、

「資源がないなら、人を資源にする」

という国家づくりだったと思います。

石油も鉱山もない。では何で稼ぐ?

マレーシアには天然資源があります。

石油。

天然ガス。

パーム油。

広大な土地。

シンガポールには、そのどれもほとんどありません。

小さな島に約200万人が暮らし、独立当時は失業問題も深刻でした。

普通に考えれば、非常に不利な条件です。

そこでシンガポールは、

「持っていないもの」を嘆くのではなく、「持っているもの」を最大限使う

という方向へ進みました。

持っていたものは何か。

世界有数の航路上にある港。

英国統治時代からの英語や行政制度。

そして何より、

人間です。

私なりに言えば「閣僚と官僚にはバカを置かない」

前回の記事でも書きましたが、私はリー・クアンユーの国家経営を、かなり乱暴に表現するなら、

「閣僚と官僚にはバカを置かない」

だったのではないかと思っています。

もちろん、これはリー・クアンユー本人の言葉ではありません。

私なりの表現です。

しかし、彼が能力のある人材を政府に集めることを非常に重視していたのは事実です。

シンガポールの公共部門では、

meritocracy(メリトクラシー=能力・実績主義)

が国家運営の重要な原則になっていきました。

誰の親なのか。

どの家柄なのか。

誰と知り合いなのか。

ではなく、

「その仕事を最もできるのは誰か」

を重視する。

公共サービスにおいて、能力、努力、実績によって昇進させるという考え方です。

優秀な人間には、それに見合う報酬を払う

ここにもリー・クアンユーらしい考え方があります。

優秀な人材を政府で働かせたい。

しかし民間企業の方が圧倒的に給料が高ければ、優秀な人ほど民間へ行ってしまいます。

だったら、

政府も優秀な人材に市場に見合った報酬を払えばいい。

シンガポールは、公共部門の報酬についてこうした考え方を採用していきました。

これは日本人には少し違和感があるかもしれません。

政治家や官僚は国民に奉仕するのだから、高い給料をもらうべきではない。

そんな考え方もあります。

しかしリー・クアンユーの発想は違います。

大きな国家予算を動かし、何百万人もの生活に影響を与える判断をする人間なのだから、

最高レベルの人間を採用する必要がある。

そして最高レベルの人間を採用するなら、それに見合う条件が必要だ。

企業経営者の感覚にかなり近いと思います。

高い給料を払うなら、結果も求める

ただし、

「高い給料を払います」

だけではありません。

シンガポールの公共サービスでは、

成果が出せなければ、それでいいという考えではありません。

能力のある人を採る。

十分な報酬を払う。

その代わり、結果を出してもらう。

私はここに、リー・クアンユーの国家運営の特徴がよく表れていると思います。

政府を、

「税金を使う行政組織」

というより、

「国家という会社を経営する経営陣」

のように考えていたのではないでしょうか。

そして、汚職を許さない

優秀な人を集めても、政府が腐敗していたら意味がありません。

独立前のシンガポールでは、汚職は決して珍しいものではありませんでした。

そこでPAP政権は、汚職対策を国家運営の重要な柱にします。

CPIB(Corrupt Practices Investigation Bureau=汚職行為調査局)は1952年に設置されていましたが、リー・クアンユー政権はその権限を強化しました。

1960年にはPrevention of Corruption Act(汚職防止法)が制定されます。

重要なのは、

「偉い人なら見逃す」という仕組みにしなかったことです。

大臣であっても調査対象になります。

実際、1986年には国家開発相だったテー・チアン・ワンが、民間企業から合計100万シンガポールドルの賄賂を受け取った疑いでCPIBの捜査対象になりました。

大臣だから捜査しない、とはならなかったのです。

国民からすれば、

「法律は偉い人にも適用される」

ということになります。

これは国への信頼を作るうえで、とても大きなことだと思います。

白いシャツと白いズボン

PAPの政治家が白いシャツと白いズボンを着る姿を見たことがある人もいると思います。

これは単なるファッションではありません。

1959年にPAPが政権を取った際、彼らが身につけた白は、

清廉さ、汚職のない政治

を象徴するものでした。

「自分たちは汚職に染まらない」

という意思表示です。

政治家の服装まで国家運営のメッセージにする。

リー・クアンユーという人物は、こうした象徴の使い方もうまかったのだと思います。

仕事がないなら、世界から会社を連れてくる

次の大きな問題は雇用です。

独立当時のシンガポールには、多くの人を雇える大規模な産業がありませんでした。

国内市場も小さい。

国内企業だけを育てていたのでは時間がかかります。

そこでシンガポールは、

「外国企業に来てもらえばいい」

と考えました。

1961年にはEconomic Development Board(EDB=経済開発庁)が設立されています。

EDBの仕事は非常に分かりやすい。

世界中の企業に、

「シンガポールに工場を作りませんか?」

と売り込むのです。

今では外国企業を誘致する政策は珍しくありません。

しかし当時、独立したばかりの小国が多国籍企業を国家成長の中心に据える戦略は、かなり大胆でした。

企業が来たくなる国を作る

もちろん、

「来てください」

と言うだけでは企業は来ません。

企業が考えるのは、

政治は安定しているか。

法律は守られるか。

賄賂を要求されないか。

港は使えるか。

電気は安定しているか。

労働者は教育されているか。

行政手続きは早いか。

そうした条件です。

つまり外資を呼ぶためには、

国そのものを「企業が仕事をしやすい商品」にしなければならない。

シンガポールはそこを徹底しました。

1968年、半導体企業がやってきた

一つの象徴的な出来事があります。

1968年、米国の半導体企業National Semiconductorがシンガポールに進出しました。

工場は非常に短期間で稼働を開始します。

その成功を見て、

Fairchild。

Texas Instruments。

Hewlett-Packard。

General Electric。

といった企業も進出してきました。

最初は衣料品、玩具、かつらなどを作っていた国が、やがて電子産業へ進んでいきます。

そしてその後、精密工学、石油化学、半導体、医薬、航空宇宙など、より付加価値の高い産業へ移っていきました。

現在でも製造業はシンガポール経済の重要な柱です。

資源はない。

だから、

世界中の資本、技術、人材を自分たちの国へ通過させる。

そんな国になったのです。

外国企業が来ても、働ける人がいなければ意味がない

そして当然、教育が重要になります。

外国企業が工場を作っても、

機械を扱える人がいない。

技術者がいない。

管理職がいない。

英語で仕事ができる人がいない。

それでは企業は定着しません。

そこでシンガポールは、国家が必要とする人材を教育によって作ることを重視しました。

単に、

「大学へ行きましょう」

ではありません。

「この国がこれから必要とする人間は誰なのか」

を考えながら教育政策と産業政策を結びつけていきます。

これは企業でいえば、

「10年後に必要になる人材を、今から採用して育てる」

ようなものです。

家がなければ、国家への帰属意識も生まれにくい

もう一つ、シンガポールの国家づくりで外せないのが住宅です。

1960年、HDB(Housing & Development Board=住宅開発庁)が設立されました。

当時のシンガポールには深刻な住宅不足があり、過密で衛生状態の悪い住環境で暮らす人も多くいました。

HDBは猛烈な勢いで住宅を建設します。

最初の5年間だけで約5万5,000戸。

住宅不足を短期間で大きく改善しました。

しかし私は、HDBの意味は単に、

「家を建てた」

だけではないと思います。

自分の家を持つ。

家族が暮らす。

その家がある国を自分の国だと思う。

住宅政策は、国家への帰属意識を作る政策でもあったのではないでしょうか。

現在では、シンガポール居住者の約8割がHDB住宅で暮らし、そのうち約9割が持ち家です。

小さな島に、多くの国民が「自分の家」を持つ社会を作ったことは、シンガポールという国家の安定に大きな意味を持ったと思います。

国を「システム」として作った

ここまで見てくると、リー・クアンユーが何をしたのかが少し見えてきます。

優秀な官僚を集める。

汚職を抑える。

外国企業を誘致する。

必要な人材を教育する。

住宅を作る。

インフラを整備する。

一つひとつは特別に珍しい政策ではありません。

しかし重要なのは、

これらがバラバラではなく、すべてつながっていることです。

外国企業を呼ぶ。

その企業で働ける人材を教育する。

そこで働く人の住宅を整える。

企業が安心して投資できるよう汚職を減らす。

それを実行できる優秀な官僚を採用する。

経済が成長する。

私は、シンガポールの強さは個別の政策より、

「国全体を一つのシステムとして設計したこと」

にあるのではないかと思います。

政府を「最強の競争力」にする

天然資源がある国なら、地下から石油を掘れば外貨を稼げます。

広大な農地があれば、農産物を輸出できます。

シンガポールにはありません。

だったら、

「この国で仕事をすれば安心だ」

と世界中の企業に思ってもらう。

法律が機能する。

行政が速い。

賄賂を要求されない。

人材がいる。

港が動く。

道路がある。

電気が止まらない。

政治が安定している。

それ自体が国家の商品になります。

つまり、

政府そのものが天然資源の代わりになった。

私はそう考えると、シンガポールという国が非常に分かりやすくなります。

もちろん、リー・クアンユーにも批判はある

ここまで書くと、リー・クアンユーを全面的に礼賛しているように見えるかもしれません。

もちろん彼の政治には批判もあります。

報道や言論の自由。

野党への対応。

強い政府による社会管理。

個人の自由と国家利益のバランス。

現在でも評価が分かれる部分があります。

しかし、

1965年に生き残れるかどうかさえ分からなかった小国を、世界有数の経済国家に育てた国家経営者

として見たとき、私はやはり非常に興味深い人物だと思います。

同じ国だったマレーシアと、違う方法を選んだ

ここでシリーズの最初に戻ってみます。

マレーシアは、多民族国家の安定を図るため、ブミプトラの経済的地位を引き上げる政策を選びました。

シンガポールは、多民族社会の中でメリトクラシーを国家運営の重要な原則として掲げました。

どちらも、

多民族国家をどう安定させ、どう豊かにするのか

という同じ問題に向き合っていました。

しかし選んだ方法は違いました。

そして約60年が経ちました。

では現在、

マレーシアとシンガポールはどれほど違う国になったのでしょう。

人口。

国土。

GDP。

一人当たり所得。

教育。

行政。

住宅。

天然資源。

そして暮らしやすさ。

次回は、

「同じ国だったマレーシアとシンガポール、60年後を比べてみる」

というテーマで、数字も使いながら二つの国を比較してみたいと思います。

どちらが勝った、負けたという話ではありません。

同じところから別々の道を歩き始めた二つの国が、どこへたどり着いたのか。

そこを見てみたいと思います。



※本記事はシンガポールの国家形成とリー・クアンユー政権の政策について、日本人向けにその特徴を紹介・考察したものです。シンガポールの発展はリー・クアンユー一人によるものではなく、ゴー・ケン・スイ、S・ラジャラトナムをはじめとする政治家、官僚、企業、労働者、市民など多くの人々によって築かれたものです。また、シンガポールの政治制度や政策については現在もさまざまな評価があります。

参考資料

  • Singapore Public Service Division「Mr Lee Kuan Yew and the Singapore Public Service」
  • Corrupt Practices Investigation Bureau(CPIB)「Our Heritage」
  • Singapore Economic Development Board(EDB)「Made in Singapore: 60 years of manufacturing」
  • Singapore Economic Development Board(EDB)「Singapore’s long game in innovation」
  • Housing & Development Board(HDB)「The HDB Journey」
  • Public Service Commission Singapore「About PSC」


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