自分という存在は本当に「自分独自」なのか?

自分の考えや価値観、性格や判断基準は、本当に「自分自身だけのもの」なのでしょうか。
それとも、どこかから影響を受けて作られたものなのでしょうか。

この記事のテーマ

自分の主観、アイデンティティ、ポリシー。
それらは生まれつき完成されたものではなく、他者や社会から受け取った無数の情報に対して、受け入れるか、受け入れないかを繰り返した結果、形作られているのではないか――。
そんな視点から「自分とは何か」を考えてみます。

人は「選択の積み重ね」でできている

人は生まれてからずっと、選び続けています。

  • 両親の言葉を受け入れるかどうか
  • 友達の意見に共感するかどうか
  • 本やテレビで触れた価値観を取り入れるかどうか
  • 先生や先輩の助言を信じるかどうか

日常のあらゆる場面で、私たちは無意識のうちに
「受け入れるか、受け入れないか」
という判断を繰り返しています。

そして、その積み重ねが、今の自分を作っているように思えます。

人間の内部でも「IF分岐」が行われているのではないか

システムエンジニアの視点で考えると、人間の意思決定はフローチャートに少し似ています。

フローチャートでは、IF命令をひし形で表し、条件に応じて YES / NO に分岐します。
たとえば、

  • この情報を信じるか? → YES / NO
  • この考え方を採用するか? → YES / NO
  • この人の言葉を自分の中に残すか? → YES / NO

こうしたことが、人間の内部でも絶えず行われているように感じます。

SE的に見ると…

人は常に入力を受けています。
周囲の言葉、出来事、感情、経験といった入力に対して、内部で判断処理が行われ、採用・保留・拒否といった形で分岐していく。
まるで人間の内面に、見えないフローチャートが存在しているかのようです。

もちろん人間はコンピュータのように単純ではありません。
けれども、少なくとも考え方の一部は、
条件分岐の繰り返しによって形作られている
と考えると、かなりしっくりきます。

もし別の選択をしていたら?

ここで一つの疑問が生まれます。

もしあの時、別の選択をしていたら――

  • 今の自分とは全く違う自分になっていたのか
  • それとも、どこかで結局同じような選択をし、結果はあまり変わらなかったのか

これは誰にも確かめることはできません。

人生はセーブデータを分けて試せるゲームではありませんし、同じ場面に戻って別ルートを選ぶこともできません。

それでも考えてしまうのは、自分という存在が「固定されたもの」ではなく、選択の連続の結果であると感じるからでしょう。

自分は「借り物」でできているのか?

さらに考えを進めると、こんな見方もできます。

自分の中にある考えや価値観は、

  • 親からの影響
  • 兄弟姉妹や親族との関わり
  • 学校や社会で学んだこと
  • 友達や恩師、同僚、上司、部下、先輩、後輩の言葉
  • 本やテレビ、時代の空気から受けた影響

などの積み重ねです。

そう考えると、
完全にゼロから生まれた「純粋な自分」など存在しないのではないか
という感覚が出てきます。

自分というものは、まったくのオリジナル作品というより、さまざまな要素を取り込みながら組み上げられた存在なのかもしれません。

それでも「自分」は存在する

では、自分というものは存在しないのでしょうか。

私は、そうではないと思います。

重要なのはここです。

何を取り入れ、何を取り入れなかったか

この選択の連続こそが、自分を形作っています。

同じ話を聞いても、

  • ある人は受け入れる
  • ある人は疑う
  • ある人は一度保留する
  • ある人は強く反発する

この違いが、その人らしさになります。

大切なのは「素材」ではなく「選び方」

誰しも他者から影響を受けて生きています。
しかし、どの影響を採用し、どの影響を退け、どう組み合わせるかは人によって異なります。
その編集の仕方にこそ、「自分らしさ」が表れるのではないでしょうか。

自分とは「編集された存在」

この考え方を一言で表すなら、

自分とは「編集された存在」

と言えるかもしれません。

世の中にある無数の価値観や情報の中から、

  • 何を採用し
  • 何を捨て
  • 何を保留し
  • どう組み合わせるか

その編集結果が「自分」です。

そう考えると、自分は完全に他人のコピーではありません。
しかし同時に、完全に孤立した純粋なオリジナルでもありません。

多くの人や経験の影響を受けながら、それを自分なりに編集してきた存在。
それが、今ここにいる自分なのだと思います。

それは偶然か、それとも必然か

さらに深く考えると、もう一つの問いが浮かびます。

この選択は、

  • 偶然の積み重ねなのか
  • それとも、ある程度決まっていたものなのか

もし生まれ持った気質や性格によって、選びやすい方向があるのだとしたら、途中で別の道を通っても、結局は似たような選択に戻っていたのかもしれません。

逆に、ある出会いや一言が分岐点となり、その後の人生を大きく変えた可能性もあります。

このあたりは簡単に答えの出る話ではありません。
けれど、そうした「分岐の連続」を意識すると、自分の人生を少し違った角度から見られる気がします。

アイデンティティの正体

ここまで考えると、アイデンティティとは
最初から完成された核ではなく、
変化し続けるプロセスとも言えそうです。

新しい出会い、新しい経験、新しい知識によって、私たちの中の分岐条件そのものが変わっていきます。

以前なら YES を選んでいたことに NO を出すようになったり、逆に昔は拒否していた考え方を受け入れられるようになったりもします。

そう考えると、「自分らしさ」とは固定されたものではなく、
更新され続ける設計思想
のようなものかもしれません。

アイデンティティは静的ではない

人は一度できあがったら終わりではありません。
新しい入力を受け、新しい判断をし、そのたびに少しずつ内部構造を書き換えていきます。
だからこそ、人は変わることができますし、成長もできるのだと思います。

おわりに

自分という存在は、完全に独立したものではなく、多くの影響の中で選択し続けた結果なのだと思います。

だからこそ、

  • 他人の考えに影響されること
  • 価値観が変わること
  • 昔と今で判断が違うこと

は、決して不自然なことではありません。

そして同時に、どんな影響を受けても、最後に選んでいるのは自分自身でもあります。

「自分らしさ」とは、生まれつき完成しているものではなく、
選び続けた結果として、あとから形作られていくものなのかもしれません。

まとめ

  • 人は周囲の言葉や経験に対して、受け入れるかどうかを常に判断している
  • その過程は、フローチャートのIF分岐のようにも考えられる
  • 自分とは、他者の影響を受けつつも、それをどう選び編集したかの結果である
  • アイデンティティは固定された核ではなく、変化し続けるプロセスでもある

コメント